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第39回在日朝鮮学生美術展中央審査会と神戸展を見学して

越境する魂 「今を生きる私たちを支える力」

特別金賞
未来想像図−自然破壊の波− 鄭大河(北海道初中高 中3)
宇宙は夜空の友達さ 金洋一(神戸朝高 高3)
人気のないラーメン屋さん 金成泰(東京第1初中 初3、右)、妥協しない 康哲訓(東大阪中級 中2)
学美賞

雨の日の噴水 金美玲(長野初中 初4)

ダイビングキャッチ 李風樹(伊丹初級 初6)

背中を押してくれるもの、邪魔するもの 朴知奈(九州中高 中2、右)、神様と肉屋だけがソーセージの中身を知っている「ソーセージ物語」 趙里瑶

 昨年度に引き続き、今夏の朝鮮大学校での学生美術展中央審査会および9月の神戸展を見学した。

 昨年度は作品の迫力にただ圧倒されるばかりだったが、今回はその迫力の「正体」が少しだけ見えたような気がしている。それは、時代や国境を大きく越えてきたいくつもの魂が、目の前の一つひとつの作品の中に宿っているということだ。独立した子どもたちが自分の絵を描くというよりも、越境する魂の力を借りて子どもたちが迫力のある絵を描いているという印象を持った。一人ひとりの子どもたちの中にそのような魂が織り込まれているように思えたのである。そしてその魂は、まだ生まれ来ぬ子孫にもさらに引き継がれていく−そんな感覚を持った。それはたいへんすがすがしいものだった。

 効率性と合理性を追い求めた近代という時代は、死者のことなどすっかり忘却してきた。この社会はいま生きている人間のみで成り立っているというわたしたちのおごりがこの時代の混迷を生み、偏狭な「自立」への盲信が人間の孤立を深めることになった。その帰結として(年間3万人を超える人たちが自死するような)、「こんなはずではなかった」と思わざるを得ない近代の逆説の中をわたしたちは生きることになったように思う。

 そんな時代に、学生美術展の子どもたちの作品群は、いまを生きるわたしたちを支えてくれている根源的なものに目を向けさせてくれるように思うのだ。それは「わたしは自分だけの力でこれを成し遂げたのだ」という高慢な態度をいましめる、越境する魂に他ならないように思える。小さな子どもの小さな作品にも大きな魂が宿っている。これらの作品群はこのわたしの生を支えている無数の他者たちの存在に気付かせてくれるアート(=生の技法)そのもののように思えるのだ。

 昨年は子どもたちを支える美術の先生方の深い愛を痛感した。今年度も同様に感じたが、今回新たに気付いたのは子どもたちに徹底的に信を置く先生方の態度である。子どもたちの作品を目の前にして、何人もの先生方が「これは何を表現しているのだろうか」と頭をひねり、戸惑い、大きく揺れながら考えるさま、そして議論するさまは圧巻だった。

 「専門家」である先生が、「素人」である子どもの作品一つひとつにこれほどまでに真摯に向き合い、一方的に評価するどころか、作者の意図を汲み取るために、これでもかと言わんばかりに全員が議論を積み重ねる場にいることができたのはわたしの幸せだった。

 「迷わないこと」や「強い意思決定」は近代の価値である。その中では、子どもたちの作品を目の前にして教師が揺れる、などということはおそらく隠すべきことだろう。しかしわたしが目にしたのは、子どもたちに徹底的に信を置き、作品に敬意を払い、子どもや同僚たちとともにきちんと揺れる専門家たちの姿だった。ここに、わたしは、自分たちの持っている価値観に誇りを持ちつつも、それだけを過剰に信じず、常に他者に寄り添って自分たちを鍛え続け、そして仲間たちとともに新しい価値を創造し続けようとする、非常に真摯な専門家集団の態度を見るのである。これも、小さな子どもたちに宿る大きな魂を先生方は感じられているからか、と思わざるを得なかった。

 越境する魂と真摯に向き合う学生美術というアート集団−それはわたしたちがこの時代を生きていくための新しい知恵や希望を創出しているような気がしてならない。(仲野誠、鳥取大学准教授/社会学)

[朝鮮新報 2010.11.5]