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〈本の紹介〉 朝鮮近代科学技術史研究 開化期・植民地期の諸問題

貴重な発掘、民衆史からの洞察

 朝鮮における科学技術史の研究は、「解放」以前には洪以燮の「朝鮮科学史」(1944)のほかは見るべき成果がほとんどない状態であった。しかし、その後、社会建設の過程で科学技術の重要性が認識され、科学技術の驚異的な発展の中で、科学技術の「歴史」の意義も人々に認められるようになり、その研究が北南ともに盛んになってきたのである。

 本書は朝鮮王朝時代の科学技術を扱った前著「朝鮮科学技術史研究」(2001)に続くもので、朝鮮の「開化期・植民地期の諸問題」を扱う代表的な15の論文を集めている。この時期は、まさに封建的な朝鮮王朝が近代国家への転身を真剣に模索しながら、それより早く日帝の武力により植民地化されてしまった時期であるが、わが民族の自主性は植民地期に転落した後にも独立への絶え間ない闘争や、そのための人材の養成の努力があり、その結果として、解放後の自力による近代国家の形成が可能であったのである。

 以上のことを証明する論文として「開化期の近代科学受容」(朴星来)や「植民地期における科学技術者の形成について」(金根培、朴星来)や「日本統治下朝鮮の高等工業教育に関する一考察」(李吉魯)などがある。

 なお、「朝鮮開化派の近代化と福沢諭吉」(任正)では、金玉均を代表者とする開化派の失敗を、科学技術史的側面から考察するとき、金玉均には福沢の「科学帝国主義的思考」−すべてに優先する価値観としての科学技術を主従する立場=すなわち帝国主義者の政策実現のための道具としての科学技術尊重の立場に影響を受け、さらに「文明開化・富国強兵」のために「脱亜入欧」して隣国への侵略へと進む必然性に考察が及ばなかったとする。科学技術史の観点からの福沢と開化派に対する鋭い評価である。

 この開化派のかなり浅薄な歴史認識に対して、「覇道に抗する王道としての医学−1930年代朝鮮における東西医学論争から―」(慎蒼健)に登場する趙憲泳は、朝鮮の歴史的発展段階と民衆の現状についての深い洞察に立って東西医学を比較検討し、漢医学の長所とその必要性を強調しながら、民衆が自分の力で、医術の主体=客体となる構想を提出していることである。貴重な発掘というべきであろう。なお、この短文では論評できなかったけれども、「金容ュ盾フ発明学会」「李升基のビナロン研究」「物理学者都相禄の活動」などの好論文が新進の研究者のものであり、この本自体が在日の若い研究者によって編・翻訳されたことを喜び祝賀したいと思うのである。(任正編著、皓星社、TEL 03・5306・2088、6800円+税)(金哲央・朝鮮大学校客員教授)

[朝鮮新報 2010.10.25]