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〈本の紹介〉 月愛三昧 親鸞に聞く

無明の闇を照らす灯明

 今夏広島の平和記念式典に初めて米国政府代表が参列した同じ日、当地を訪れていた本書の著者高史明氏は、日本の首相や米国の大使、国連事務総長が訪問した同式典に、朝鮮代表や中国代表の姿がないことを指摘していた(「名古屋御坊」9月10日号)。

 朝鮮植民地支配100年がきわめて曖昧にやり過ごされている今日の日本にあって、高氏の批判は、もはや「反戦平和」なる戦後的価値を代表してきた言葉の空しさをも鋭く突いている。そのような「言葉の知恵」による合理的知性が、一方では核爆弾を生み、他方ではこうした「言葉」による認識の闇をもたらすこと。実に900ページに及ぶ氏の渾身の大著である同書は、「言葉の知恵」の闇を根源に抱え続けてきた日本史、そして現代世界の深淵を抉り出す。

 人間は自分の死を自分で語ることができないように、「あるままがあるがままに見えない存在」として、言葉というフィルターを通じた仮想としての生死を生きている。だが「コトバのチエ」による合理的知性は世界をくまなく情報化し適応させる一方、人間存在を極限まで抽象化・数値化する。そのチエはたとえば、金融商品や為替の変動に日々翻弄される現代の深刻な経済不安のなかで、ますます疎外されていく人間へのまなざしを見失わせる闇となるのだ。

 古来日本思想があみ出した言葉のチエ、合理的知性の土壌地下深くに脈々と流れる実用主義・現実主義を、古事記・日本書紀から始まり、日本朱子学、国家神道と仏教・浄土真宗との葛藤と抗争の中から丹念に探り出す著者のまなざしは、歴史的に日本社会の動揺がたえず朝鮮侵略へと出路を見出させ、秀吉の朝鮮出兵ひいては近代の侵略思想、今日の朝鮮人差別にまで至る闇へと通低していることを厳しく見透かしている。

 全編を通じ著者が深い信仰を持つ親鸞の言葉に支えられたこの日本思想史批判の大著は、煩悩と汚辱にまみれた今日の思想状況の無明の闇を照らす一つの灯明となるだろう。植民地支配の闇に生まれ、戦後政治の闇に翻弄され、何より12歳の愛息の自死により根源的な自身の闇を抱えて生きざるをえなかった壮絶な人生のなかで、親鸞と出会った著者のまなざしこそ、「月愛三昧」と呼ぶにふさわしい―それは人間世界の暗い大海原を静かに包み込む満月の明かり、仏の慈愛の光のことである。たとえ信仰を持たぬ読者でも、その光のほの温かさに、読後、言いえぬ感動を覚えることだろう。(高史明著、大月書店、TEL 03・3813・4651、9000円+税)(李英哲・朝鮮大学校外国学部准教授)

[朝鮮新報 2010.10.25]