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〈朝大 朝鮮歴史博物館-13-〉 渤海、高句麗の後継国家

海東の盛国、渤海の展示物

 渤海(698年〜926年)は朝鮮半島北部と中国東北部、そしてロシア沿海地方にあった国である。渤海と同じ時代の朝鮮半島南部には新羅があった。渤海と新羅が南北に並立したこの時代を「南北国時代」と呼ぶこともある。今回は「海東の盛国」としてその名を知らしめた渤海の展示物を紹介してみよう。

渤海の建国と大祚栄

天門嶺の戦い(想像図)

 高句麗は668年、唐−新羅連合軍による攻撃と政権内の内紛によって滅亡した。その遺民のなかには唐の領地である営州(遼寧省朝陽市)に強制移住させられた人々も少なくなかった。その後高句麗の旧将大祚栄は、同じく移住させられていた契丹人が李尽忠指揮のもと蜂起したのを機に、高句麗の遺民を引き連れて故地へと東進した。

 この時靺鞨人である乞四比羽もその衆を引き連れて行動を共にする。突厥人の軍勢を利用して契丹人の反乱鎮圧に成功した唐は、今度は大祚栄を追撃したのである。唐軍との戦いのなかで乞四比羽は戦死してしまう。大祚栄は靺鞨軍をも率い天門嶺の戦いで唐軍を打ち破り、698年に東牟山で震国(後に渤海と名乗る)を建てた。こうして高句麗を継承した国家、渤海の歴史が始まったのである。当館には天門嶺の戦いを指揮する大祚栄を描いた展示品があるが、残念ながら常設展示はしていない。機会をみて展示しようと思う。

王都上京の出土品

渤海国展示コーナー

 上京龍泉府(以下上京)は中国の黒竜江省寧安県にあった渤海の都である。渤海の都は東牟山に始まり、東京竜原府や中京顕徳府などにも置かれたが、長期にわたり都としたのはやはり上京である。

 上京には外城と内城、宮城からなる長方形の都城があった。外城の周囲は16296メートルにもおよぶ。外城の城壁には南と北の3カ所、東と西の2カ所にそれぞれ城門が確認できる。これら10カ所の城門は東西南北のそれぞれが対称になるように設けられ、また城内にはこれらの城門を結ぶ道路が碁盤状に配置されていた。

 中心部を貫く大路の幅は110メートル、長さは2195メートルにもなるというからすごい。当館には上京の都城を描いたパネルが設置されているので、これを見ながらその雄大さを想像するのもいいと思う。また上京出土の鬼瓦や軒丸瓦なども展示されている。

ヨンチャゴルの馬具

 1997年に発見されたヨンチャゴル古墳群は当時の学界の注目を最も浴びた遺跡の一つである。咸鏡北道清津市青岩区域富巨里にあるこの古墳群には、南側の1号墓を中心に16基の墳墓が密集している。1号墓の墳丘は東西14.4メートル、南北16メートル、高さ3・4メートルの大きさで、これまで発見された渤海墳墓のなかでは最大級のものであった。

 朝鮮学界ではこの古墳を王陵級のものとして慎重に調査を進めたのである。数次にわたる盗掘の影響で、王冠や装身具などの副葬品が出土しなかったのが残念でならない。しかしここからは注目に値する遺物が発見されている。轡、鐙、辻金具、杏葉、雲珠など60余点におよぶ馬具一式がそれである。

 これらは渤海馬具の全貌を明らかにするための一級資料となった。当館にはこの古墳出土の10点の鉄製馬具(複製)が展示されている。乗馬の際に足を踏み掛ける鐙をよく見ると、滑り止めのような突起が確認できる。鞍を固定する革ひもにつける飾りである杏葉には忍冬文様がはっきりと見てとれる。これらは高句麗の馬具からも確認されており、高句麗と渤海との文化的継承関係をよく見せてくれるものである。(河創国、朝鮮歴史博物館副館長)

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[朝鮮新報 2010.10.22]