top_rogo.gif (16396 bytes)

アランサムセ 「夢の国さがして」の再々演

鄭大世の活躍に夢を重ねて

上演を前に熱心に稽古する劇団員たち

 「夢の国さがして」(金元培作)の再々演を決めた今年の春先ほど己の無能無力を嘆いたことはない。

 今年の公演はどんな形であれ「併合100年」がテーマにならなければ、と昨年から抱き続けてきた構想を実現できなかったという思いからである。

 今年観た数多の南の劇団来日公演にこの「100年」を意識したものは皆無で、アンケートに片っ端から非難を書きつけた私ではあるが、瞬時にその矛先は私に向かい「そういうお前はどうなんだ〜」という呪いの声に「やめてくれ〜」と耳をふさいでのたうち回ったのは幾歳月、いや約半年か。

 16年前の作品に決めたのは、テーマ的に「それでも」関連づけられるという消極的意図からだったのだが、6月にこの上演意図は積極的、必然的なものに一変する。W杯ブラジル戦前の涙についての鄭大世選手の言葉−「軽い道のりではなかった」と、劇中の次の台詞が私の中で完全に融け合ったのだ。

 「壁を越えるためには余計なものを捨てて軽くならないと」「いや、壁は越えるんじゃなく突き破るんだ。それには体を重くしなければ」

 鄭選手の言う「道のり」には「選択」という意味が含まれていて、それが常に厳しく=重いものだったからこその涙ではなかったかと私は解釈している。

 思えば在日同胞の歴史は、「選択」の道のりではなかったか。祖国、国籍、名前、学校、それらを統べる「帰属先」…そしてこの国はいつの時代もわれらのその選択に「軽重」とそれに伴う「有利、不利」を強いてきたのだ。

 さて、初演の1994年はどんな年であったか。2月、JR各社が朝鮮学校生徒への定期券差別是正を決定(4月実施)、4月、総連大阪府本部など強制捜索、6月、総連京都府本部など強制捜索、各地で朝鮮学校女生徒たちのチマ・チョゴリ切り裂き事件がひん発、8月、朝高がインターハイ初出場。

 今年1月、大阪朝高ラグビー部が「花園」でベスト4に輝き、4月の全国選抜大会では準優勝。その一方で「高校無償化」除外との闘いは今なお続いている。「不利益を被りたくなかったら朝鮮学校へ行くな」という壁を突き破ってきた道のりと、次々と立ち塞がる壁の前で選択を迫られる現状に変わりはない。

 8年前からこの国ですべての「朝鮮」は「余計なもの」となり、楽に、軽く生きるためには避けた方がいい苦しく重い十字架に仕立てられ、同胞はそれを背負う者と降ろす者とに分けられた。解放から65年の歳月を経てなお、否、ますます露顕するこの十字架化(=踏み絵化)の構造と、それに傷つき翻弄される同胞のありようにどうして「真の解放」を見て取れようか。

 五輪の金メダルを「日の丸」の上にかけられたあの時代が完全に終息しきらぬこの国に生きるからこそ、この地で生まれ育った若者が祖国の旗を胸に、祖国の歌に感極まる姿を見てわれらの胸はこうも高鳴るのではないのか。それはつまり「余計なもの」を背負った「重い体」で壁を突き破り「夢の国」に駆け上がった同胞の姿なのだから。

 初演時の時事ネタを現在のものに置き換えるという手もあったが、あえて同一のテキストで挑もうと決めたのは、この16年間に何が変わり何が変わらなかったのかを提示してみせることが、「100年」の今日的意味を微小にでも検証することになりはしないかと考えるからである。

 多くの方々が劇団アランサムセの挑戦に立ち会ってくださるよう切に願う次第だ。(金正浩・朝鮮大学校文学歴史学部教授)

[朝鮮新報 2010.10.18]