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朝鮮王妃殺害から115年 北南のメディアが断罪

「世界史上、前例ない凶行」

 今から115年前の1895年10月8日未明、朝鮮の王后閔氏(諡号は明成皇后)が、大本営と日本政府の意を受けた三浦梧楼・日本国全権公使の指揮の下に王宮に乱入した日本軍・日本人によって殺害されるという世界史上例のない野蛮な事件が起きた。

 北の民主朝鮮紙は同日、この事件について、「実に主権国家のシンボルとして最も神聖視されていた王宮で、それも王妃の寝室に乱入し当時のわが国の国家権力の代表者の一人である王妃を無惨にも虐殺した日本の殺人鬼たちの罪行は、歴史上前例のない非道な反人倫的行為であり、わが国の自主権と尊厳を組織的に強盗のやり方でじゅうりんした特大の反民族的、反国家的犯罪であった」と断罪した。

 一方、南の連合ニュースも同日、同事件について、「殺害を主導した三浦梧楼公使が事件直後、本国外務省との通信を遮断し、事件を組織的に隠ぺいしようとした」と当時の日本の外交官、内田定槌・京城領事の証言を掲載した。

 さらに、内田領事が事件直後、三浦公使に、「日本人らが血痕をつけた刀を持ち歩いている姿を、朝鮮人はもとよりソウル居住の多数の外国人に目撃されており、日本人が関与したことは否定できない、どう始末をつけるつもりか」などと尋ねたことなども明らかにした。

 この事件は、日本ではいまだに「閔妃暗殺」などと呼ばれているが「閔妃」という言い方は間違いだ。高宗の妃夫人は多数いるが、王后はただひとり閔氏のみである。

 日本のメディアは誰がこの事件を仕組んだのか、日本は関与していなかったのか、たとえ関与していたとしても実際に殺したのは朝鮮人か日本人か、などいまだにあいまいにしている。

 たとえばNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の「歴史ハンドブッグ」は、「閔妃に不満を持つ大院君や開化派勢力、日本などの諸外国に警戒され、一八九五年、大院君を中心とした開化派武装組織によって景福宮にて暗殺され、その遺体は武装組織により焼却された。悲しい運命に翻弄された一人でもある」と、日本とはまるで他人事のように記述している。

 毎日新聞「質問 なるほドリ」(2月12日付)も、「A 実行犯が日本人か、韓国人かなどを巡って、小説やノンフィクション、テレビドラマなどで、今もさまざまな意見や主張が出されています」などと事実をねじ曲げたまま。

 しかし、国際的にはこの事件の真相はすでに明らかになっている。

 当時この事件を知った朝鮮駐在のロシア公使ヴェーベルは、本国に送った報告の中で「われわれは世界史に前例のない、犯罪的な事実に立ち会っているということだ。平時に他国民が自国の軍隊、そしておそらく公使館の庇護のもとに、さらには指導のもとに、大挙して王宮に乱入して、王妃を殺害し、その遺体を焼却する。そしてさらなる一連の醜悪な殺人と暴行をなしたあとで、衆人環視の中で自らがなしたことをあつかましく否定する。そんなことはいまだかつて見たこともない」と日本を非難した(和田春樹著「日露戦争」上 岩波書店刊)。

 また、この野蛮きわまりない事件の謎を長年にわたって追及してきた歴史研究者・金文子さんは昨年刊行した労作「朝鮮王妃殺害と日本人」(高文研刊)で、暴挙の首謀者は川上操六日本陸軍参謀次長、実行犯は朝鮮公使・三浦梧楼であること喝破した。三浦の指揮下、日本の軍隊、公使館および領事館職員、領事警察署巡査、「壮士」と称する民間人によって事件が引き起こされたとその全貌を解き明かした。

 歴史家・中塚明氏は同書について「日韓双方での今までの『王后閔氏』殺害事件研究を、新しい視点から画期的に高めた快著である」と高く評価している。

 「国際社会の常識は、今なお必ずしも日本社会の常識ではない」と日本の歴史の隠ぺいを批判したのは、故加藤周一氏であった。日本の戦後50年は、ほとんど暴露の半世紀、かくしごとのバレゆく過程であった、と指摘。「…南京大虐殺、七三一部隊の人体実験、『従軍慰安婦』制度…その『かくしバレ』過程は今も終わらず」と嘆いた。

 朝鮮王妃殺害事件という日本近代の最大の闇を隠ぺいしているかぎり、まさに恥の上塗りになるだけだ。(朴日粉)

[朝鮮新報 2010.10.18]