〈本の紹介〉 坂本龍馬と朝鮮 |
思い込みに疑問を NHKで放映中の「龍馬伝」(原作=司馬遼太郎)はじめ日本では坂本龍馬の人気はダントツだ。そんな風潮に疑問を投げかける記事が出た。「軍国主義に利用された過去も。勝手な使い方はもうやめよ」(朝日新聞10月5日付)と題する記事がそれ。高知市出身の精神科医・評論家の野田正彰さん(66)の主張である。 「坂本龍馬というイメージが過去にどう利用されてきたかをちゃんと知ってほしい。小説やドラマで都合のいい部分だけを切り取ったり、危機の時代になるとナショナリズムをあおるような形で、フィクションもないまぜに語られたりする。今もそうではないですか」と強く警鐘を鳴らす。 そんな矢先に「龍馬の人生と思想はクリーンだったのか?」を問う「坂本龍馬と朝鮮」が刊行された。 著者は「司馬遼太郎と朝鮮」「蘇る朝鮮文化」など多くの著書を持つ作家・備仲臣道氏。備仲氏は本書の巻末で、龍馬について、「尊皇論者で、侵略主義者で、征韓論者でもあった」と指摘し、「ほんとうは怖い龍馬の姿を、余すところなくえぐり出すためには、このように遠回りしなければならなかった」と述べている。 「遠回り」したというのは、「龍馬の蝦夷地開拓と竹島開拓」という2つの構想のこと。それをあぶりだすことで龍馬の知られざる思想と姿にアプローチしようとしている。1867年、33歳の若さで凶刀に倒れたその人生を俯瞰するとき、著者の手法に肯けるものはある。 龍馬の死から8年後、江華島事件から日本敗戦までの実に70年もの間、日本は朝鮮侵略を続けてきた。著者は「考えてみれば明治維新がよくなかったのである。諸悪の根源は、それをもたらした薩長を中心とした尊攘派にあり、龍馬もまた同罪だ」と断罪する。このプロセスは「坂道を転がり落ちる一方だった」とする認識だ。 司馬とは正反対の歴史観が通底するところが本書の魅力といっていいだろう。(備仲臣道著、かもがわ出版、1500円+税、TEL 075・432・2868)(朴日粉) [朝鮮新報 2010.10.16] |