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〈高句麗の豆知識-E〉 遼東城の攻防戦

現在の中国の鳳凰城駅(平壌−瀋陽の車窓から)

 遼東城は山城だ。城といっても、日本の城のように戦士たちだけが守る城とは違う。山城は山の嶺々を城壁で連ねた大きな城で戦士と住民が全部入って守る城である。

 「三国史記」には、高句麗の山城は176個も作られたとある。

 高句麗ならではの防御態勢である。侵入軍に対しこのような山城から前後左右から、常に奇襲夜襲をかけられるわけだ。

 さて遼東城攻防戦だが、最初隋軍は2、3日で踏み潰そうと思ったのだが、巡りつくまでに高句麗と戦いながら前進したので約1カ月ほどかかり、いざ城攻めになったら、100日たっても城は落ちない。

 業を煮やした煬帝は諸将らを招集して詰問した。公らは私を暗愚で怯懦な者としたいのか。公らのしていることを見ると、公らを斬ろうと思うばかりである。

 隋軍を遼東城に釘づけすることにより、隋の「速戦即決」の戦略は早くも崩れ去ったわけだ。

 しびれを切らした煬帝は宇文術、于仲分の二将軍に30万の機動軍を与えて、高句麗王の陣取る鳳凰城を直撃せよと命じた。

 かくして、30万の精鋭軍は遼東城から離れて、安市城の間を通ってサルス(薩水)江を渡り、鳳凰城へたどりつく。

 その間、文徳軍との間に戦闘が続けられた。1日に7度戦い、高句麗は7度退く。そうして戦闘部隊と食糧部隊を切り離すと、離れた食糧部隊を襲い徹底的に叩いた。隋軍は進めば進むほど、毎日戦って勝つほど疲れて食糧がなくなる状況になっていった。

 その間に文徳は和平交渉のため、大胆にも宇文術の陣営に出かけて直談判している。

 後に談判に来た文徳を切らずに帰してしまった隋の煬帝の特使は処刑されてしまう。

 ともあれ戦闘に勝ち続けた宇文術の軍勢は、鳳凰城(北平城)にまで進軍してきた。

 ところが隋軍の状況を見れば、衣服はボロボロ、食糧は途絶えてふらふら、弓矢も不足していた。

 乙支文徳旗下がいきり立つ。「将軍、撃って出て隋を全滅させましょう」と。

 その時文徳はニクイことを言うのだ。

 「かかった魚を釣り上げるときには、もう一度釣り糸を緩ませて大魚を疲れさせなければならない。どんなに飢え、疲れた軍勢でも決戦に臨めばその力を出す。しかし退く敵は叩きやすい」と部下たちを押さえる。

 そして文徳は敵の大将に一通の漢詩をしたためて送る。

 神策究天文
 妙算窮地理
 戦滕功既高
 知足願云止

 「神の如き策は天文を究め、妙なる戦術は地理に通じ、戦功はすでに高し、これに足りて帰られんことを願う」という意味の漢詩だ。

 敵将はこれを文徳の「降伏状」、和議の申し入れと受け取り、煬帝に報告するため兵を引き上げた。(金宗鎮、在日本朝鮮社会科学者協会東海支部会長)

[朝鮮新報 2010.10.16]