top_rogo.gif (16396 bytes)

〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第8回 芥川龍之介(下)

「小児と大差ない日本男児たち」

朝鮮王室儀軌

 朝鮮植民地支配100年に際し今夏発表された菅首相の談話について、日本の主要紙は軒並みこれを「評価」する社説を載せ、南の李明博大統領も「歓迎」の意を示した。「朝鮮王室儀軌」など略奪文化財を「お渡し」する(「返還」ではない!)という、きわめて象徴的なおまけつきで。象徴的、としたのは、現政権も言論も、1965年「韓」日条約の立場、すなわちあくまで植民地支配責任を不問にし、請求権問題や文化財問題は「解決済み」という枠内にて、「韓」日間の「和解」「未来志向」を演出したいということなのだ。政治経済軍事的な両者のもくろみを互いにすり寄らせながら。

 朝鮮の宋日昊朝・日国交正常化交渉担当大使は菅談話について、「(首相談話は)南朝鮮だけを対象とした。村山談話(1995年)より後退した」と正面から批判した。そして朝鮮学校の高校無償化適用はまたも「先延ばし」とされてしまった。「韓」日間のみで歴史責任問題が解消されようとし、空疎な「未来」の言葉の裏で強化される分断統治と在日朝鮮人の切り捨て−結局、1965年以来今日まで継続しているのは、「韓」日条約の焼き直しの反復にほかならず、歴史はますます都合よく塗りつぶされていく。

朝鮮王室儀軌

 「歴史を粉飾するのは必ずしも朝鮮ばかりではない。日本もまた小児に教える歴史は、−あるいはまた小児と大差のない日本男児に教える歴史はこう云う伝説に充ち満ちている」−芥川龍之介「金将軍」(1924・2)の一節である。壬辰倭乱の時、朝鮮の将、金応瑞がその妹桂月香(朝鮮の伝説上の義妓・スパイ)と図り、豊臣の武将小西行長を謀殺して国を救うという英雄譚である。史実では小西は朝鮮で死んでおらず、元の伝説とも異なる物語を、なぜ芥川があえて書いたのか。前2回にわたり見てきた同時期の作品や日記に見える、中国体験や反戦思想、関東大震災時朝鮮人虐殺への反応などと切り離しては考えがたい。

 作品が描く朝鮮での加藤清正・小西行長の暴虐ぶりは、すでに紹介した同年発表の「桃太郎」が見せた鬼が島での残虐性と重なる。辛辣にも「小児と大差のない日本男児」たちが教え込まれている歴史認識こそが、人々を暴力へと突き動かしてしまうことを芥川は批判したかったのではなかったか。

 さらには、すでに前年関東大震災で見せた日本人民の残虐性とその犠牲になった朝鮮人への思いが、この復讐劇を書かしめたと考えても決して読みすぎではなかろう。だがそれは、もっぱら暴力を被る被害者としての像のみではない。奇しくも「金将軍」発表と同じ月、大逆事件の首謀者として朝鮮人アナキスト朴烈と金子文子が起訴されている。鬼が島の独立のため反抗する鬼を、侵略者を殺す朝鮮の将軍を描いて見せた芥川と、当時の抵抗者たちの像とが、同時代状況のなかで重なりあってくる。

小西行長の墓(熊本市東光院)

 芥川にはまた、「猿蟹合戦」(1923・3)という、よく知られた童話の、後日談風の作品がある。猿への復讐を果たした蟹は、逆に死刑となり、法も世論も言論もことごとく「危険思想」にとらわれた蟹の運命に同情を寄せるものはなかった。「蟹は必ず天下のために殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい蟹なんですよ」−作品発表から数カ月後の関東大震災時、朝鮮人虐殺のみならず、日本の社会、労働運動の指導者たちも大弾圧を受け、その際朴烈と金子文子も拘束されている。

 過去も現在も、朝鮮人弾圧とはすなわち日本人弾圧の序曲にほかならない。歴史が「猿」どもの虚偽の言葉で糊塗され、差別と暴力のなか、ともに抵抗する「蟹」同士、芥川の箴言を一つの手がかりに、朝鮮人と日本人の真の和解と連帯の思想をたたえた言葉へと練り上げること。今日の切実な課題である。(李英哲・朝鮮大学校外国語学部准教授)

[朝鮮新報 2010.9.6]