〈本の紹介〉 只、意志あらば 植民地朝鮮と連帯した日本人 |
朝鮮民衆と共に闘った日本人 著者は、朝鮮人に対する蔑視・差別意識から自由で朝鮮民衆と連帯できたのはなぜかという問題意識から、本書を書いている。そして三宅鹿之助、布施辰治、金子文子の3人を取り上げている。 三宅鹿之助は東京帝国大学経済学部を卒業後1927年4月に京城帝国大学(城大)の法文学部の助教授に就任した。在職中にベルリンに留学してマルクス主義の影響を強く受けて帰国し再び城大の教授となり、差別されながらも熱心に学ぶ朝鮮人学生に心を引かれた。コミンテルの12月テーゼのうち「朝鮮問題に関する決議」を訳し、教え子を含めて独立運動に携わる朝鮮人活動家に物心両面からの援助を与えた。そのことが「植民地朝鮮において日本人、しかも大学教授という地位にいた人間が思想事件に関係して投獄されたという稀有の事件」といわれた「城大教授三宅鹿之助事件」となって朝鮮民族解放闘争史に日本人側から1ページを記した。 本書は、布施辰治の出自を起点として、彼の稀な正義感が父親ゆずりであり、墨子とトルストイとユーゴ(とくに「レ・ミゼラブル)の影響で人類愛を育み弱者、なかんずく権力に虐げられる者たちへの同情と強権への怒りをモチベーションにして、朝鮮問題にアプローチしていく必然的過程が語られている。 解放前、布施辰治が最初にかかわったのは3・1独立運動の導火線となった、東京留学生による2・8独立宣言事件であった。以降、関東大震災朝鮮人虐殺事件真相調査活動をはじめ、彼の朝鮮人事件の弁護活動は枚挙にいとまがない。「韓国併合」を非合法で不当であると確信する彼の朝鮮問題へのかかわりは、朝鮮民族の独立運動に大きな足跡を残した。 解放後の弁護活動は割愛されているが、朝鮮人聯盟強制解散、国旗掲揚闘争、4.24教育闘争などなど、在日朝鮮人運動のほとんどすべてに彼の闘いの跡が刻まれている。 1949年に布施辰治の古希を祝う「人権擁護宣言大会」が開かれたとき、1200余人の参加者の内60%が在日同胞であり、2人の同胞代表が祝辞を述べている。 著者が対象にしたいま1人の日本人は金子文子である。朝鮮民族への共感と連帯感を培った、9歳から16歳までの朝鮮での生活を詳述し、彼女の数奇な生い立ちから獄中で縊死するまでの闘いを、朴烈との関係を軸にしてたどっている。 しかし彼女の活動は朴烈を支えるためだけのものではなかった。一個の独立した思想家であり歌人でもあった金子文子が、天皇制を朝鮮民族の仇敵として捉えて革命家として闘ったのである。大逆事件で死刑が決まった後に恩赦で無期懲役になったが、天皇制国家の偽りの慈悲を拒否して獄中縊死を選んだところに、革命家である金子文子の不屈の意志を見ることができる。 それでも、朝鮮侵略の罪禍を問責する書物は多々ある。だが、植民地支配に反対した日本人を評価することで日帝を断罪した本は数が少ない。 その意味において、本書は貴重な一冊だといえる。(後藤守彦著、日本経済評論社、TEL03・3230・1661、2000円+税)(周在道 評論家) [朝鮮新報 2010.8.27] |