〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第7回 芥川龍之介(中) |
「いわんや殺戮を喜ぶなどは」
大正期後半からの社会運動の隆盛とプロレタリア文学の台頭のなか、「ぼんやりとした不安」という言葉を残し自死した芥川の文学は、激動する現実に対する知性の「敗北」として長らく評価されてきた。しかし近年の研究の動向は、その社会・歴史認識とともに、「娑婆苦」(この世にあふれる悩みと苦しみ)とたたかった苦闘の文学として新たに見直されつつある。関口安義「芥川龍之介の歴史認識」(新日本出版社、2004年)をはじめ氏の一連の論考などにそれは詳しい。
前回みた「桃太郎」(1924年)が示す、帝国主義・軍国主義への鋭い批判は、中国旅行(1921年)後ほどなくして発表された「将軍」(1922年1月)にくっきりと表れている。起承転結構成の「一 白襷隊」では、日露戦争の旅順総攻撃時、乃木希典をモデルとした「N将軍」の指揮下、天皇のために死なねばならない下級兵士たちのやり切れない思い(検閲による多くの伏せ字箇所がある)を記す。だが続く「二 間諜」ではスパイの「支那人」を「斬れ! 斬れ!」と命じるN将軍の偏執的な「殺戮を喜ぶ気色」が、将軍以上に部下の騎兵にまで伝染するのである。さらに「三 陣中の芝居」では善人で涙もろい将軍の姿が挿まれ、「四 父と子」では、N将軍のもとで働いた中村少将が後年その子に、N将軍について「人懐こい性格」であり「徹頭徹尾至誠の人」と語り聞かせる−。
作品は軍人の残虐性への嫌悪、批判を単につづるのみではない。後半2章は、前半の残虐性の本質をくっきりと浮かび上がらせているのだ。3、4章に描かれた善人、至誠の人が、ひとたび戦地にて侵略者、戦闘者となった時、いかに残虐に変ぼうするか、ということこそを言いたいのである。さらに戦争や侵略は、いたって普通の、市井に生きる一般の人々さえも、残虐な殺りく者たちに作り上げてしまうという恐ろしさをも書きこんでいる。あたかも作品が予言したかのように、およそ1年半後の関東大震災時の酸鼻極まる朝鮮人大虐殺では、軍部、政府に企まれ、報道が煽動し、何よりも一般の民衆自身が、狂乱的に加害の主体に変ぼうしたではないか。その際「我我は互いに憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは」と記した芥川の言葉は、単なるヒューマニズム一般や浅薄な平和主義に解消されてはならない。「将軍」が見せる、暴力を構成する本質への鋭い視線こそが読みとられねばならない。
それは当時から現在の日本社会までを貫いている本質なのだ。戦争も、植民地支配の暴力も、このようにして権力とマスコミと民衆が共犯して遂行され、そして戦後の「平和」の中で忘却されてきたではないか。そして前田朗氏の近著「ヘイト・クライム−憎悪犯罪が日本を壊す−」(三一書房労働組合刊)も訴えているように、関東大震災時の朝鮮人ジェノサイドと、今日日本社会の一般民衆が加担する朝鮮人への憎悪犯罪は、その根を一つにしている。
8月が来るたび多分に情緒的な反戦平和のメッセージが繰り返されるが、沖縄を切り捨て、憲法9条を無力化させ、朝鮮とアジアを脅迫する米韓の軍事演習に参加する日本。今夏迎える朝鮮植民地支配100周年を空疎な「未来志向」なる言葉や「和解」の演出でごまかそうとする一方、朝鮮人への差別と暴力をやめない日本政府および、これらを無視/放置/追認し、あるいは自ら加担しながら、特権的な「平和」を享受する「普通の」日本国民に、「ヒロシマ・ナガサキ」のみを声高に叫ぶ資格はない。 当初「上・下」2回でまとめる予定だったのが、拙筆でいたずらに紙数を費やしてしまった。次回芥川が書いたもう一人の「将軍」の話、朝鮮の「金将軍」(1924年)についてやはりどうしても紹介しておかねばならないだろう。読者諸氏には、もう少し芥川の話にお付き合い願いたい。(李英哲・朝鮮大学校外国語学部准教授) [朝鮮新報 2010.8.9] |