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若きアーティストたち(74)

ピアノ奏者 姜杏理さん

 4歳からヤマハの音楽教室で週に2回、グループレッスンと個人レッスンを受けに通っていた。とはいえピアノに興味があるわけではなかったため、レッスンに通うのが苦痛で仕方なかった。

 初級部4年に上がってからは朝鮮舞踊部に入り、毎年行われるコンクールにむけて練習に明け暮れた。頭の中は舞踊でいっぱいだったが、ピアノも怠ることなく毎日2、3時間欠かさず練習した。

 中級部3年のころ、日本のコンクールに出場したが落選。「誰もが必死に練習しているのに自分はいかにピアノに対して適当だったのか。ただ弾いているだけではだめだ」。その日をきっかけに目覚めた姜さんは、音楽科のある高校に進学。「高校3年間は遊ぶ時間などいっさいなかった。課題曲に取り組むために学校を休んでまで練習した」。今までの時間を取り戻すかのように練習に没頭した。

 大学に進むにあたって数々の音大のオープンキャンパスや公開レッスン、講義に積極的に足を運んだ。その中でもひときわ異才を放っていたのが桐朋学園大学音楽学部の朴久玲先生だった。朴先生の魅力に吸い込まれるように、同大学に入学した。

 朴先生の授業ははじめから厳しく、暗譜してこないと授業を受けさせてくれなかった。「あなた下手ね、まったく面白くない」と容赦ない指摘も受けた。

 「音が違う」と言われ、有名なピアニストの曲を聴いたりもしたがどこがどう違うのかわからず、涙の1年を過ごした。

 朴先生の師匠である世界的ピアニスト・バスクレセンスキー氏が桐朋大で行ったオープンレッスンに参加し同氏の演奏を聞いたとき、他のどの講師とも違う独特で幻想的な世界観に惹きつけられた。同大学卒業後はバスクレセンスキー氏がいるロシア国立モスクワ音楽院大学院への留学を決意した。世界の大音楽家たちの母校であり、朴先生も同大学院の卒業生だという縁もあった。

今年6月にモスクワで行ったソロリサイタル

 モスクワでの寮生活は一言で悲惨そのものだった。生活条件が整っておらず治安も悪かった。そのうえ言語の壁を目の当たりにし不安が募り、道行く人たちも冷たく見えた。

 約800人もの生徒が暮らす寮の朝は早い。朝5時には十数台しかないピアノを予約しに、ピアノ室の前に行列を作る。幼い頃から芸術性豊かな環境で育った現地の学生は、高度な演奏技術はもちろん、一つ一つの音にオリジナルの色を持っていた。突然来る演奏依頼にも対応できる即戦力、高度な技術、多様な持ち曲を持っている彼らのほとんどはみな、まだ10代後半の学生たちだった。

 「どうして自分はこんなに弾けないのだろう」。何度も挫折しては悔し涙を流した。日常的にクラシックを聴く習慣があるロシアでは、一般の人でもプロの耳を持っている。そんな人たちの前で弾くのは怖くて緊張もする。しかし、自分からピアノを取ったら何も残らない。ひたすら努力に努力を重ねた。

 どんなときも常に支えてくれた家族の存在は大きかった。

 「落ち込んだときにはいつも励ましてくれた。留学までさせてくれて物心両面から長い間支えてくれた」と感謝を口にする。

 数々の苦労を乗り越えながら異国の地で孤軍奮闘した。最近、やっとピアノを弾くことを心から楽しめるようになってきたという。「生きている限りいやでも年を重ねていく。でも今は30代になるのが楽しみ。研さんと経験を積むことによって演奏により深みが出てくると思う。曲に込められた作曲家の思いを受けとめながら、そこに自分の思いを重ね、自分だけの音色を響かせられる個性的な演奏家になれれば…。そしてこれからはコンクールにもたくさん出場して、さらに技術を磨いていきたい」とあふれる思いを語った。(文と写真・尹梨奈)

※1984年生まれ。静岡朝鮮初中級学校の中級部を卒業。常葉学園橘高等学校音楽科、桐朋学園大学音楽学部卒業後、現在、ロシア国立モスクワ音楽院大学院2年在学中。在日朝鮮人中央ピアノコンクール初級部低学年高学年の部金賞受賞。日本チャイコフスキーコンクール入賞。「音楽と地球」国際コンクール第2位およびショパン審査員特別賞受賞。今年6月、モスクワで初のソロリサイタルを開く。

[朝鮮新報 2010.8.2]