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映画「弁護士 布施辰治」を観て 4.24教育闘争、「国旗掲揚」裁判にも尽力

「布施辰治は朝鮮民族の真の友」

すばらしい映画

朝鮮民主主義人民共和国の国旗掲揚裁判について報じる「学同ニュース」

 さる7月10日、在日朝鮮人・人権セミナーと在日朝鮮人人権協会主催のドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」上映会に参加した。

 主催者を代表した床井茂弁護士、池田博穂監督のあいさつと布施辰治の弁護を受けたひとりである申昌錫さんの回想などは大変参考になる貴重な話だった。

 30数年前、朝鮮大学校図書館に大事に保管されていた布施辰治直筆の資料などをみて当時のたたかいの壮絶さを垣間見た一人として、大きな期待をもって映画を鑑賞した。

 映画は当時の時代的背景を映し出し、布施辰治の活動と生涯を原資料と家族ならびに同僚あるいはその子息と弁護を受けた人、彼に助けられた人などの具体的な証言をふんだんに登場させ、見る人を釘付けにさせるものであった。大変感動し、布施辰治の座右の銘といわれる「生きべくんば民衆と共に、死すべくんば民衆のために」を実証するような素晴らしい映画であった。

 労働者、農民、在日朝鮮人など帝国主義権力から排除されている人々を擁護するために私利私欲を省みず献身する布施辰治の姿は感動そのものでる。

 また弁護士の資格をなげうっても正義を貫徹させる、屈することがない強い意志に畏敬と共感をおぼえる。植民地民族の弁護のために植民地宗主国の弁護士が命をかけて活動した例が他にどれだけあっただろうか。まさしく布施辰治は抑圧された朝鮮民族の真の友人であり、よき理解者であったと思う。

関係者の尽力に敬意

戦前、官憲の弾圧に抗い、在日朝鮮人のために弁護を続けた布施辰治

 ドキュメンタリー映画の製作にかかわった多くの人に敬意を表したい。

 映画では、ドブロクに対する詳細な説明から在日朝鮮人の生活におけるドブロクの「役割」についてわかりやすく解説し、ドブロク裁判を弁護する布施辰治の活動も出てくる。これは在日朝鮮人の生活上大事なたたかいであったことは十分に首肯できる。

 在日朝鮮人運動史上の観点からみるならば、布施辰治の活動で見逃せないのは、在日朝鮮人の民族教育に対する支援ではなかったろうか。日米当局は民族教育に対する弾圧策動を強化したが、とくに1948年初頭から露骨に圧力を加えた。4.24教育闘争はそれに対する在日朝鮮人のたたかいであった。

 布施は1948年5月2日より6日までの「在日朝鮮学校事件真相調査団」のメンバーとして真相究明に貢献した。大阪教育闘争に関する大阪鈴木警察局長との面談には布施と渡部義通(民主主義科学者協会幹事長)が行い、かの有名な証言を聞きだしている。

 「うつという意志があったのですね」という布施と渡部の質問(追及)に、鈴木は「あったでせう(ママ)。抑圧するためには膝うちをやってもよいと思いますね。抑圧するのに、ピストルで空ばかり撃ったのでは何も意味をなしませんからね。石を投げる人に対しては意識して撃ったように思います」(「朝鮮人学校問題に関する神戸大阪等現地に於ける調査団と当局との対談」ガリ版資料)と証言したのである。銃で撃たれ死亡した金太一少年を日本の警察が意識的に殺害したということで、決して偶然ではないことを確認したのだ。

「北朝鮮旗ではない」

故郷に設けられた布施の顕彰碑

 布施辰治弁護士の活動で忘れられないことの一つは、朝鮮民主主義人民共和国の国旗掲揚に関する裁判での名弁護であろう。

 朝鮮創建を支持し祝賀する在日朝鮮人の勢いに当惑した日米当局は、「国旗掲揚禁止令」「北鮮旗掲揚禁止に関する国家地方警察本部長官通牒」などで抑制しようと躍起になった。

 当時の学生同盟は祝賀の気持ちを表そうと運動会の場(1948.10.31)で一瞬だけ朝鮮国旗を掲揚し、掲揚した後に涙ながら降ろした。ところがそれを知った淀橋警察署は、当時学同の幹部であった姜理文、李福ェを逮捕して軍事裁判にかけた。

 布施弁護士は起訴却下の理由を明快に挙げて抗議している。紙面の都合もあり、一部だけ要点を引く。

 「起訴状で被告人等の掲揚したといわれる国旗は北朝鮮の国旗ではない。この国旗は朝鮮民主主義人民共和国旗で『北朝鮮国旗』なるものは、朝鮮にも、日本にも、世界いずれの国にも存在せず、被告人も弁護人もいわゆる『北朝鮮国旗』なるものの存在を認めない。おそらく検事も…存在を立証することはできないだろう。また、掲揚禁止が朝鮮民主主義人民共和国の国旗を指したものだというなら…絶対に『北朝鮮国旗』でない事を主張する。そして国旗は国家の象徴で、独立を認められた国家の国旗掲揚禁止はできないはずで、禁止の通達は不法である、よって被告人等の行為が起訴さるべき罪状でない」(「学同ニュース」1949・3・5)。

 布施は、彼らが掲げたのは禁止されている「北朝鮮旗」ではなく朝鮮民主主義人民共和国の旗であると抗弁して検察側を窮地に追い込んだ。判決は重労働刑3年が下されたが当時置かれた厳しい状況下で、強い抵抗の意志を込めた貴重な弁護であったといえよう。

 在日朝鮮人史研究者の立場としては、このような場面をもう少し観たかったと思う。

 関係者の多大な努力によって完成した優れたドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」の普及活動が進むことを心から願ってやまない。鑑賞に当たっては、民族教育や「国旗掲揚闘争」などに尽力した布施の弁護士活動もあわせて想起しながら、いっそう理解を深めていただきたいと筆を執った次第である。(呉圭祥・在日朝鮮人歴史研究所副所長)

[朝鮮新報 2010.7.28]