〈渡来文化 その美と造形 22〉 新羅鐘 |
梵鐘は寺院近隣に時刻を知らせたり、儀式などの行事を人々に知らせるためなどに使われる、寺院の重要な構成部分である。その荘厳で清涼な響きは、聞く人々の六根を清浄するという。 朝鮮でも多くの梵鐘が製作されたが、現在、新羅時代の梵鐘として、朝鮮で、最も古い上院寺鐘(725年)と、「エミレの鐘」として有名な奉徳寺鐘(771年)など6例が残る。 日本や中国の鐘は、袈裟襷と呼ばれる縦帯や横帯が鐘身にあり、鐘を吊り下げるための龍頭は二つの龍首と宝珠を組み合わせたものである。鐘は、高いところに吊り下げて撞かれる。 新羅の鐘(朝鮮の鐘全般に言えることであるが)は、鐘の頂部に一頭の龍と、その後ろに甬または旗指しと呼ばれる音筒がついており、鐘は低く吊られ地面に近いところで撞かれる。 鐘の胴部は上下両部分の文様帯に分けられ、上部には4つの方形に区切って乳郭をつくり、1つの乳郭内に蓮の蕾などをかたどった乳を9個、全体で合計36個を配している。下部には、蓮を模した円形の撞き座(鐘を打つ個所)を、竜頭の方向にそって前後に二つ配置する。残りの空間に飛天像、楽天像、供養像などを浮き彫りしている。 現在日本に、このような特徴を備えた5例もの新羅鐘が知られている。 そのうち、敦賀市の常宮神社所蔵のものは、「太和七年(833年)三月 日菁州蓮池寺鐘」の銘を持ち、国宝に指定されている。 この鐘は、龍頭の龍が笠上の珠を噛み、両臂を左右に張り、胴の上下に文様帯があり、その上部には4カ所に区切られた乳郭と、それぞれ3段3列の蓮花を模した乳が置かれている。そして下部には、天衣をなびかせて空に舞う天女が浮き彫りされ、撞き座は蓮模様が龍頭の方向に沿って2カ所ある。日本に残る朝鮮鐘のうち最も大型のものである。 この鐘は、豊臣秀吉の朝鮮侵略時、出兵した大谷吉継が略奪して秀吉に献じたものである。現在、この鐘の返還運動が慶尚南道晋州で行われているという。さもありなん、というべきか。 朝鮮植民地化100年、国がどのようにあるべきかの痛切な教訓を示す鐘である。(朴鐘鳴・渡来遺跡研究会代表、権仁燮・大阪大学非常勤講師) [朝鮮新報 2010.7.20] |