top_rogo.gif (16396 bytes)

心源寺を大補修、新たな遺跡も展示 高麗時代、最古の木造建築の一つ

心源寺の普光殿

 朝鮮では民族の知恵を示す歴史遺跡、遺物を保存管理する事業が国家的な関心の下で行われている。最近も黄海北道燕灘郡燕灘邑のチャビ山の中腹にある心源寺の補修が終わった。仏教の寺である心源寺は、高麗時期に黄海道内のすべての寺を統括する寺だった。

 昨年6月から行われた補修作業には、中央と地方の文化保存部門の関係者だけでなく、現地の住民も参加した。今回の補修作業は、古典の文献に基づき、寺を本来の形に修復することに重点が置かれた。普光殿の建物の柱と屋根のさし組みを合わせ直し、丹青を修復した。

 砂と粘土をまぜて作られた壁体を永久保存するための作業が行われ、清風楼などのすべての建物の屋根が補修された。清風楼には木魚を本来の場所に作って飾った。

 一方、補修工事を行う過程で発掘された多くの遺物を新たに展示した。普光殿の屋根を補修する過程で仏教の経典と仏像、経典を彫った木版などの遺物が出た。

 昔の文献である「黄海道郷土誌」によると高麗時期に黄海道内の全寺を統括する寺だった心源寺は、9世紀に有名な僧侶である道国師が、沙里院市の正方山にあった寺の成仏寺とともに建てたものとして知られている。

 現地では講師が補修状況について説明してくれる。

新たに発掘された丸瓦

 現在燕灘郡にある寺は、高麗末期の建築物だといえる。心源寺の中心建物である普光殿は、1374年高麗末期の封建官僚で哲学家だった李穡(1328〜1396、号は牧隱)の勧めで、大々的に手が加えられた。その後、何度も補修されている。

 心源寺の普光殿は成仏寺の應真殿などとともに現在わが国に残る最も古い木造建物の一つである。

 現在の丹青はその大部分が18世紀に再度行われたものだが、一部に重厚感のある高麗時期の丹青が残っている。成仏寺の應真殿の丹青とともに、高麗丹青を研究するための貴重な資料になっている。

 普光殿は全般的な構成が安定し、構造と形成がよく統一されている。中心が太い柱をはじめ、当時の建築物の様式上の特徴がよく保存されている。

 心源寺から100メートルほど南方にいくと、この寺の住職であった浮屠など僧侶たちの墓がある。その向こう側の崖下には、1709年と1715年に立てられた心源寺の碑が2つある。碑の後方には山の神に祭事を行った跡地が残っている。

 この寺の大補修作業は、1960年代に行われたことがある。今回の大補修を通じて心源寺が古い歴史文化遺跡として蘇り、人民のための文化的な休息地、海外同胞と外国人たちの歴史遺跡観光地がまた一つ増えたと関係者たちは喜んでいる。【平壌支局】

[朝鮮新報 2010.7.9]