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〈渡来文化 その美と造形 20〉 新羅琴

金泥絵新羅琴の琴柱・緒止め。体は桐の一木刳り抜き。(全長158.2センチ、幅上方で30.3センチ、緒止め幅38.0センチ)

 正倉院に「金薄輪草形鳳形」の新羅琴がある。これは、桐材をくり抜いた槽に12本の弦を張ったもので、朝鮮では伽耶琴と呼ばれる楽器である。

 北倉の『国家珍宝帳』(756年・天平勝宝8年、光明皇后が聖武天皇の遺品を東大寺に献納した時の目録)によれば、もともと「金鏤新羅琴」が2面あったが、一時貸し出した際、別の新羅琴、「金泥絵形」と「金薄輪草形鳳形」の2面が代納されたという(823年・弘仁14年)。

 この記録によれば、1面は、表に樹木の文様を金泥で描き、裏は金箔で風景、雲、鳥、草花などが描かれ、撥面には日象が描かれたもの、もう1面は、表に金箔で輪形の草花を描き、その円内に翼を広げて片足で立つ、今にも舞い上がらんばかりの鳳の姿が描かれ、裏は金箔で大型の草花が、撥面には草花や鳥が描かれている。これらとともに、紫色の錦の袋が一緒に収められた、という。

 伽耶琴は、『三国史記』楽志に『新羅古記』を引用して、「伽耶国の嘉実王が唐土(中国)の楽器を見てこれを作らせ、楽師于勒に命じて12曲を作らせた」とあるように、朝鮮由来の楽器である。

 桐材の胴に絹糸の弦を張り、長さは152センチ(5尺)で、これは朝鮮の古典音楽の5音階を表し、幅21センチを標準とする。絃は12弦で、これは1年12か月を、裏面の刳り抜き文様は、それぞれ、太陽、月、地球を現し、宇宙を象徴するものといわれる。

 伽耶琴は片側をひざに載せ、雁足(弦を支える柱=琴柱)にかけられた弦を右手指で直接はじき、左手で弦を押さえて音の高低・ビブラートなどを調整する。

 朝鮮からの音楽の日本伝来の最も古い記録は、453(允恭42)年、新羅の楽人80人の来日である。684(天武13)年正月、宮中で「高麗、百済、新羅の三国楽を奏した」という。

 701(大宝元)年には雅楽寮という中央官庁を設置して、高麗楽師、百済楽師、新羅楽師各4人の指導のもとに、学生各20人を配置して学ばせたが、この雅楽寮で用いられた楽器の多くは朝鮮由来のものである。

 現在も正倉院に琴をはじめとして朝鮮由来の楽器19種・75点が保存されており、南倉には「東大寺」銘の、当初からの新羅琴が残されている。

 現在も在日朝鮮人の多くは伽耶琴の音色に故郷をしのぶ。天平の渡来人は何を想いながらこの音色を聞いたのだろうか。(権仁燮 大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.7.5]