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朝鮮を代表する書道の大家 韓石峰と母親のものがたり

問い合わせ=コリアブックセンター、TEL 03・6820・0111、FAX 03・3813・7522、Eメール=order@krbook.net

 いまから400年ほどまえ、朝鮮に韓石峰という書道の大家がいました。

 石峰がまだ小さいころ、お母さんはもち売りをしてやっとくらしをたてていました。

 お母さんは、毎朝はやく、夜どおし切ったもちをとどけに町へ出かけました。そんなときは石峰も、お母さんと手をつないで行きました。

 「母ちゃん、ぼく、きょうも熱心に字を習うよ」

 「そうかい。じゃ、母さんはおもちをもっとたくさんつくるからね」

 小さいときから、とくべつ習字に熱心なむすこが、お母さんには大きな喜びでした。

 (どんなことがあっても、この子をりっぱな書家にそだてよう)

 くらしは貧しくても、すくすくそだつ石峰の姿を見るにつけ、お母さんは力がわき、苦労もわすれて仕事に精だすのでした。

 お母さんがもちをつくそばにしゃがんで、石峰は木ぎれで地面に字を書きました。書いてはけし、けしてはまた書くのです。

 お母さんはときどき手を休めては、それに見いりました。

 (この子を勉強させるために、もっともっとはたらかなくちゃ。寝る時間をへらし、こしの痛みもがまんしよう)

 こう考えて昼も休まずはたらき、夜もうすぐらいともしびの下で、せっせともちを切りました。

 苦労したおかげで、いくらかのお金がたまりました。

 庭のあんずの花が咲きみだれたある朝、お母さんは、石峰を呼んでいいました。

 「母さんの話をよくお聞き。人とうまれて、世のなかのためになにかりっぱなことをするか、芸をみがいて名をあげられなければ、人間としてのねうちがありません。お父さんはいなくても、おまえをりっぱな書家にそだてるのが母さんの願いなの。だからおまえは、さっそく深い山へはいって、あんずの花が十ぺん咲くまで書道にはげむのだよ」

 お母さんは、用意しておいたすずりとすみ、筆、紙、それにお金のはいったつつみを取りだしました。

 石峰は、お母さんのそばをはなれるのが悲しくてなりませんでした。

 「ぼくがいなくなったら、お母さんはひとりぼっちになるじゃないか」

 「そんな心配はおよし。母さんがうんとはたらいて、仕おくりをするから、十年間家のことはわすれて、しっかり勉強するのよ」

 「よくわかりました。おいいつけどおり、いっしょうけんめい勉強します。どうかお体をたいせつに…」

 「ええ、おまえもたっしゃでね」

 お母さんの声も、すこしふるえていました。

 石峰はていねいにおじぎして別れをつげましたが、十歩もいかないでふりかえり、もう帰ってくださいと、いいました。

 でもお母さんは松の木の下に立って、いつまでも見おくってくれました。

 石峰は山道をいそぎました。

 なつかしいわが家と、自分のために骨身をおしまずはたらくお母さんのことを思うと、胸があつくなりました。

 (お母さん、ぼくきっと書道の大家になってみせます)

 こう誓いをたてると、足どりもかるくなりました。

 やがて遠くに高い石がきと城門があらわれ、お寺も見えました。

 石峰は心をひきしめて石だんをあがり、お寺の門をくぐりました。

 さいわい、すぐ書道のお師匠さんにあえました。

 はるばるやってきた少年の決心を知ると、お師匠さんは感心しました。

 「一年くらい勉強するつもりかの」

 「いいえ、十年を目標にしてきました。どうかよく教えてください」

 「うむ、見あげたものじゃ」

 お師匠さんは喜んで、少年の願いをききいれました。

 手習いはその日からはじまりました。

 「筆はこうにぎるのじゃ。わかったかな」

 お師匠さんはまず、筆のにぎりかたや、すみのつけかたから教えました。

 お師匠さんはやさしい人ですが、とてもきびしく、すこしの欠点も見のがさず、なんどもやりなおさせました。

 くる日もくる日も、へやにとじこもって字を習うのは、けっしてたやすいことではありません。

 けれども石峰は、うまずたゆまず習字にはげみました。

 手くびがずきずきし、足がしびれると、お母さんのことを考えました。

 (お母さんはいまも、ぼくのために苦労しているだろうな)

 石峰は、夜なかにはねおきて、つくえにむかうこともよくありました。

 いっぽう、お母さんは、庭のあんずが咲くたびに、むすこのことを思ってけんめいにはたらきました。そしてお金がたまると、そっくり石峰に送るのでした。

 お寺のあんずも、なんど咲いては散ったことでしょう。

 きれいな花が咲く春には、きよい水べのあずまやで手習いし、青あおと木がしげる夏には、しぶきを散らして流れおちるたきのそばの岩で字を習いました。

 秋にはすすきの原にすわって筆をとると、お月さまが見おろして、笑いかけてくれました。

 ふぶきが荒れる冬の夜も、石峰は手から筆をはなしませんでした。

 それだけお師匠さんも毎日熱心にあんずの木の下で手ほどきをしました。

 「筆に力がこもっておらん。ちょっとでも手がふるえてはいかんぞ」

 石峰は日ましに上達していきました。

 ある中秋名月の夜のことです。

 満月がぽっかり空に浮かんでいました。

 石どうろうのそばで手習いをしていた石峰は、立ちあがって空を見あげました。がんのむれが鳴きながら飛んでいきます。

 しかもそれはなつかしいお母さんのいる村へと遠ざかっていくのです。石峰はきゅうにさびしくなりました。

 (お母さんはお元気だろうか。ポチも大きくなったろうな)

 石峰は、がんのむれを追って、家へ飛んで帰りたくなりました。でも、あんずの花は、まだ十回咲いていません。

 七度目のあんずの花が咲いた春のある日、お寺まいりにきた両班が、石峰の字を見て、ひざをぽんとうちました。

 「ふうむ、たいした名筆じゃて」

 「世に出しても、肩をならべる書家はおりますまい」

 お師匠さんも喜んでほめました。

 石峰はむねをわくわくさせて、つくえの上のすずりをながめました。

 七年もすりつづけたので、中が深くくぼんでいました。

 (すずりがこんなになるまで、習ったのだから、ほめられるのはあたりまえだ。はやく苦労しているお母さんのもとへ帰って、腕まえを見せてあげよう。お母さんはきっと喜ぶだろう)

 石峰はお師匠さんにいいました。

 「もうこれでおいとましようかと、思います」

 お師匠さんはしばらく黙っていましたが、首をたてにふりました。

 「そうするがよい。さぞ家に帰りたいことじゃろう。字はりっぱなものじゃ。お母さんもきっと喜ばれるにちがいない」

 石峰はにもつをまとめて、お寺をあとにしました。

 七年前にふんだ石だんをおり、わが家へとむかう石峰の心ははずみました。色とりどりの花が咲きかおり、にこにこ笑いかけているようです。

 (おまえたちもぼくがどんなにうれしいかわかってくれるんだね。ぼくは修行をおえて、お母さんのところへ帰るんだよ)

 石峰はうれしくてたまりませんでした。

 道はけわしく、どこまでもつづいていました。

 石峰は、夜も休まず歩きつづけました。

 暗い森のあちこちで、けだもののほえる声が聞こえます。

 けれども、石峰はちっともこわくありません。心はお母さんのところへ飛んでいたのです。

 (お母さんはいまごろなにをしているだろうか。きっとぼくのため、寝もしないでおもちを切っていることだろう)

 自分の手をとって、頭をなでてくれたお母さんの荒れた手が石峰の目の前に浮かびました。

 村はずれまで見おくってくれたやさしいお母さん…。

 石峰は、はやくお母さんにあいたくてたまらず、空のお星さまを道づれに、夜道を急ぎました。

 なつかしいわが家が見おろせる丘についたのは、夜が明けるころでした。

 朝日が、まぶしくさしのぼりました。

 白いあんずの花が咲いている木の枝に、かささぎが二羽とまって、鳴きました。

 朝げのしたくをしていたお母さんは、めずらしいお客さんでもくるのではないかと、外をのぞいてみました。

 このとき、「おかあーさーん」という聞きおぼえのある声がするではありませんか。

 「まあ、石峰が…」

 お母さんは、かけ寄ってくるむすこを見て喜びました。

 「お母さん、ただいま。修行をおえて帰ってまいりました」

 石峰は目をうるませて、お母さんにだきつきました。

 見ちがえるほど大きくなったむすこの姿に、お母さんはうれしさをおさえることができませんでした。けれど心をとりなおしてたずねました。

 「まだ十年にならないのに、どうして帰ってきたんだい」

 「お母さん。ぼく、もうだれにも負けないほど字がじょうずになったんです。お師匠さんも、ほかの人たちもみんなほめてくれるんですよ」

 お母さんは石峰の手をとって、うれしそうにいいました。

 「それはよかったね。十年の目標を七年でやりとげるなんて」

 「ぼくもう、お母さんに苦労させませんよ」

 「そうかい。じゃ今晩、母さんと腕くらべしてみようか」

 お母さんは夕ごはんのあと片づけをすると、おもちとまないたをもってきました。

 「おまえも、したくをおし」

 「はい」

 石峰は、すずりと筆を用意し、紙をひろげました。

 「じゃ、灯を消すから、字を書きなさい。母さんはおもちを切るからね。どっちがじょうずか、かけをするのよ」

 石峰はこのときはじめて、お母さんの考えを知ることができました。でも、自信たっぷりなので、にっこり笑ってみせると、すみをすりはじめました。

 用意ができると、お母さんは、ふうっと火を吹き消しました。

 暗いへやのなかに、ことことともちを切る音と、さらさらと筆を走らせる音がひびきました。

 石峰は、七年間もねんきを入れたのだから、りっぱに書きあげて、お母さんを喜ばせようと、心をこめて筆をはこびました。

 そんななかでも、暗がりに調子よくひびくほうちょうの音に心がひかれました。

 (ぼくを勉強させようと、夜も休まずもちを切ったから、あんなに気持ちのよい音がでるのだ。ひょっとして、お母さんの期待にそむいたらどうしよう)

 石峰はお母さんの方に目をやりました。

 お母さんも、ひざをおってすわっている石峰をながめると、一心に字を書いているようでした。

 しばらくして、お母さんは火をともしました。

 ふたりは黙って、木ばちのなかのおもちと、巻紙の字を見くらべました。

 ところがどうでしょう。おもちはみんな大きさが同じで、きちんとならんでいるのに、字のなかにはゆがんだものや不ぞろいなものがあるのです。

 「どう、これでもおまえは、だれにも負けないと思うのかい。欠点は自分でもわかるだろうね」

 お母さんは、やさしくむすこを見まもりました。

 石峰は顔をあげることができませんでした。山から、このはずくの鳴き声が聞こえてきました。

 じっとうなだれていた石峰が、両手をついていいました。

 「お母さん。ぼくがまちがっていました。もう一度勉強しなおします」

 石峰は、すずりと筆と紙をつつみ、旅のしたくをしました。

 「お母さん、くれぐれもお体をたいせつに」

 「ええ、おまえも体に気をつけて勉強にはげむのですよ」

 お母さんと別れた石峰は、深い山にさしかかりました。空がまっくろになり、雨がはげしく降りはじめましたが、どんどん道を歩きました。

 数日後、お寺についた石峰は、旅のつかれもいとわず、さっそく紙をひろげました。

 一念天につうずということばどおり、石峰の腕はめきめきとあがっていきました。

 お寺まいりにきた人たちが、石峰の字に舌をまいても、もう心を動かされませんでした。

 「まだまだです。ぼくはもっと勉強しなければなりません」

 小鳥たちが窓べにきて、いっしょに遊ぼうとさそったり、ふとして心がゆるみそうなときには、あの晩のことを思いだして、気をひきしめました。

 やがて十年になりました。

 お師匠さんも、お寺にくる人たちも、十年を一日のように書道にうちこんだ少年の努力に、頭をさげました。

 韓石峰はひろく世に知られ、朝鮮のすぐれた書家とたたえられました。

 いまも朝鮮には、かれの書いた本や、その筆せきをきざんだ石碑がのこっています。

 朝鮮の優れた書家・韓石峰(1543〜1605年)の幼少期を描いた朝鮮の絵本「韓石峰とお母さん」(平壌・外国文出版社、翻訳=金時習)を紹介する。絵本は、コリアブックセンターで注文できる。

[朝鮮新報 2010.7.2]