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書家・韓石峰の墓を調査 優れた書道を称賛

韓石峰の墓碑と人を表した彫刻石像が立っている墓の全景

 社会科学院考古学研究所の研究グループが開城高麗博物館の学術メンバーとともに、黄海北道兎山郡石峰里で朝鮮王朝期の有名な書家だった韓石峰の墓を調査した。

 墓は、里の所在地にそびえている「石峰山」と呼ばれる、小さな山の中腹の南の方向にある。

 長い歳月が経つ過程で、墓堆積の土の多くが流失し、現在その高さは1.2メートル程度にしかならない。

 墓前には高さが155センチと75センチの大小の人を表した彫刻石像が左右に2体ずつ配置され、大きな石像の方は倒れた状態であり、墓の左側には台石と高さ167センチの碑石が立てられている。

 碑には通訓大夫(朝鮮朝時期の官職)であり、加平郡守だった韓石峰の墓という文字が刻まれている。

 そして墓から南の方向(前方)へ約35メートルの所にも倒れた台石などがある。

韓石峰の出生などが記録された碑文

 この碑の前面の上の部分には「韓石峰墓碑名」という文字が刻まれ、その下には韓石峰の出生と生涯、そして優れた書道を称賛した文が刻まれている。

 碑文によれば、韓石峰の名前は韓濩で、字は景洪であり、石峰は号である。

 1543年に出生し、1605年に死亡した韓石峰は幼小期から筆字を好み、優れた書道の技で多くの官職も務めたという。

 当時韓石峰の筆字があまりにも優れていたことから、人々は彼の作品一枚をもらえば、宝石を得たかのように貴重に扱い、朝鮮を訪れた外国人もその作品を望んだことで、彼の名前は朝鮮だけでなく、世界に広く知られるようになったと碑文に書かれている。

 このように韓石峰は筆字によって中世の朝鮮の名声を世界に広めた当時の最も優れた書家の一人だった。

 現在、黄海北道兎山郡石峰里と石峰山の呼称も、彼の名前に由来したものだという。

 考古学研究所のリ・チャンジョン室長(44)によると今回新たに調査した韓石峰の墓は、朝鮮民族が古くから書道の分野においても優れた知恵と才能を持った民族であるということを示す学術的な意義が大きな遺跡であるという。【平壌支局】

[朝鮮新報 2010.7.2]