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吉岡吉典著「『韓国併合』100年と日本」を読む 生涯追及した「不法・無効」

3.1運動記念シンポ、講演直後に死去

 吉岡吉典氏はしんぶん赤旗の記者を経て、その編集局長を務め、のち参院議員に1986年に初当選、三期を務め、04年に引退した。

 われわれの印象に強く残っているのは、氏が数十年にわたって日本人民と南北朝鮮人民との友好親善、国交正常化のため終始一貫して奮闘して来られたことである。

 氏が繰り返し説いたのは、両国人民の友好の深化のためには、日本が朝鮮を植民地化した歴史的事実を素直に認め、これに対する謝罪と清算を誠意をもって行ってこそ可能なのだと強調したことである。

 吉岡氏は、09年3月1日、日本統治下の朝鮮で、1919年3月1日に始まった「3.1独立運動」を記念するシンポジウムで基調講演を行い、その後の夕食会で心筋梗塞により死去された。まさに志を遂行するたたかいの途上で倒れたというべきであろう。

 本書は、「韓国併合」100年を迎えるに当って@朝鮮侵略の当事者である日本人が「韓国併合」とは何であったか、それに至る歴史的事実を正確に認識するという課題を提起し、A侵略の法的基礎とされてきた「韓国併合条約」が「不法で無効」であることを日本政府に認めさせるよう議会活動その他を通じて努力されてきた経緯が述べられている。

 まさに吉岡氏の、晩年の数十年にわたる主要な志を集約する遺書となった著作といえよう。

 吉岡氏は序文で「私が、朝鮮問題に関心を持ってから、およそ50年になります」と言っているが、この50年間に南北朝鮮と日本における歴史学は、かなりの発展と深化をとげ、それを土台にして人々の認識も、かなりの変化発展を見ることとなった。

 冷戦下の環境にあって、米日韓の連携の強化を求める米国のあっ旋の下で始められた「日韓交渉」であるが、人々は驚くべき光景を目撃することになる。日本側代表の戦前そのままの帝国主義的植民主義者の恥知らずが連発する「妄言」の数々である。その度ごとに南側は激昂し、会談はしばしば中断したが、結局は朴政権の妥協によって1952年2月からの会談は、65年、やっと妥結を見ることになった。

 1959年から赤旗の記者となった吉岡氏は、日本政府の歴史認識に驚きながら精力的に取材を続け、報道を通じて、人々への啓蒙を行い、かつ日本政府の植民地支配正当化の源泉となった日本外務省の「極秘」文書、「平和問題に関する基本的な立場」(1950年5月31日付)などの発掘・公表をしたのであった。敗戦直後から政府によるポツダム宣言批判、植民地支配正当化の作業が行われていたことに注目する必要がある。

 しかし、人々の認識はゆるやかであるが変化し、1990年代に入ると、もはや日本政府も否定しがたい明白な事実に対する事実確認と「反省」を示さねばならなくなり、当時の宮沢首相、河野官房長官などが過去の行為に対して謝罪をすることになった。とくに戦後50周年を迎える1995年8月15日、村山首相は「わが国は…植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は…疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と述べたのである。

 村山談話はアジアの人々に好感をもって迎えられた。こうして次に「植民地支配と侵略」の法的根拠となった「韓国併合条約」は「法的に有効」かどうかの問題が提起されるのである。吉岡氏は1965年、政府当局者によって繰り返される「対等な立場、自由な意思で結んだ」「法的に有効な条約」とされることに根本的な不信をいだき、「それから三十年、私はこの発言を改めさせなければならないと執念を燃やしてきました」として、政府当局への質問の機会を狙ってきたのである。

 ついに1995年10月17日、参院予算委の質問で村山首相と河野国務大臣、そして外務省官僚に質問するのであるが、これは2人の政治家の不勉強、官僚の徹底した怠慢を際立たせるものとなった。

 ともあれ吉岡氏の悪戦苦闘の結果、この条約が「対等な立場、自由な意思で結ばれた条約」としてきた政府の立場は、公式に改められたが、一部国際法学者も賛成している「法的に有効に結ばれた条約」という解釈を「違法、不法な条約」と改めることは、ついにできなかったのである(08年12月、吉岡氏の外務省への確認)。

 日本軍の包囲する中、伊藤博文が韓国の閣議に直接乗り込み、「ぐずぐずするやつがいたら、だだをこねるやつがいたら殺してしまえ」とまで大声で言った、そういう状況下でこの条約の調印を迫ったというのだが(本書149ページ)。

 この条約の「合法性」を、日本外務省は100年前から、いまだガードを固め、守り続けているわけである。

 巻末に「私と朝鮮研究」「3.1運動90周年に思う」(ソウルでの講演)そして「主な著作一覧」と歴史家・中塚明氏の「解題」が付いている。心に染みる文章である。

 吉岡氏は、しんぶん赤旗の編集局長時代には記者たちに「眠るな、死んだらいくらでも眠れる」などと言った逸話(政治家の本棚 吉岡吉典氏「一冊の本」02年1月号)も伝えられているが、今はゆっくりお休みください。(新日本出版社、2000円+税、TEL03・3423・9323)(金哲央 朝鮮大学校元教授)

[朝鮮新報 2010.6.25]