〈本の紹介〉 「ここに記者あり! 村岡博人の戦後取材史」 |
「生涯一記者」の反骨の軌跡 「生涯一記者」を貫くジャーナリスト、村岡博人氏の活動はスポーツから平和・核密約問題まで多方面にわたる。元サッカー日本代表GKで、1953年、共同通信記者になり、「民主主義の番犬」として権力を監視し続けた。どんな誹謗中傷を受けても、不正に牙を剥くことをやめなかった。彼が半世紀にわたって追い続けたのは、日本の「戦後史」そのものだった。 本書は村岡氏の共同通信時代の後輩だった片山正彦記者が執筆した。村岡氏の記者活動の軌跡を追いながら、記者の仕事とは何か、取材とは、ジャーナリズムの役割とは何かを問い直す。 いま、日本ではジャーナリズムの衰退が言われて久しい。著者の片山記者は「マスメディアの記者が『権力をウォッチ(監視)せずにガード(擁護)する番犬』と揶揄されたり、しばしば人権の侵害者と批判される現状が悔しいし、歯がゆい」と本書の「前書き」で心情をこう吐露する。だからこそ、「反骨の記者人生を歩んできた村岡の実像と取材記録を、世の中に、特にこれからジャーナリストを志す者に伝えたい」と。 村岡氏のライフワークは朝鮮問題である。日本社会を映す鏡としての朝鮮問題という歴史意識がそこにはある。日本と朝鮮半島、日本社会のなかの在日朝鮮人問題という鋭い問題意識がつねに刻まれている。いま、日本の政治、社会、経済、文化のどの断面を切り取っても、朝鮮と無関係のものがあろうか。 「従軍慰安婦」問題、「強制連行」、日本の戦争責任問題…、あるいは「高校無償化」問題、在日同胞高齢者の無年金問題など、突き当たるのは、日本の植民地政策の遺産であり、それが積み残した未解決問題である。しかし、それらを知らんぷりして恥じない状況が、日本にまん延している。 こうした日本の戦後史に異議申し立てをし、時代と格闘した村岡氏はフットワークがよく、足で書く記者≠ナあった。後に大統領に就任した金大中氏が東京のホテルで韓国中央情報部(KCIA)に拉致された時には、警察官より先に現場へ駆けつけたというエピソードがそのことを雄弁に物語る。下山事件、松川事件、小松川事件、在日朝鮮人帰国事業、60年安保、五輪、日韓条約など戦後史に向き合い、常に最前線に立ち続けた。取材を通して、つねに人間的な信頼関係を結び、相手を尊重することを基本にした。それが、在日朝鮮人帰国事業を通じて知り合った北の故田仁徹記者との長期にわたる友情にも表れている。韓徳銖前議長をはじめ幅広い在日同胞らとの交流と人脈の広さにも驚かされる。村岡氏はどんなに誹謗中傷を浴びても自らのジャーナリスト魂にもとづき、歴史認識のゆがみと差別を徹底的に憎み、時代の進むべき方向を問い続けた。 村岡氏が生涯大切にしてきたのは、先輩記者齋藤正躬から学んだ取材の姿勢である。それは、駆け出しのスポーツ担当記者の頃に言われた「専門知識だけでなく、国際感覚に満ち、社会性を追求し、人間性に触れる取材を」という励ましだった。 なお、11日、東京・内幸町にある日本プレスセンタービルで開かれた出版記念会には、許宗萬・総連中央責任副議長も出席し、お祝いした。(片山正彦著、岩波書店、TEL03・5210・4000、1900円+税)(朴日粉、本紙記者) [朝鮮新報 2010.6.18] |