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〈渡来文化 その美と造形 18〉 藤ノ木古墳−履

金銅製履A(長さ38.8センチ、横12.2センチ、高さ11.3センチ、6世紀後半、金銅板製品)

 藤ノ木古墳の石棺内から2組の鍍金された金銅製履が出土している。小さい方がA、大きい方がBと呼ばれている。

 全体は左右の甲と底の部分を、厚さ0.3〜0.6ミリの3枚の銅地金板を、太さ1ミリほどの銅製のねじった針金で接ぎ合わせてある。全体の形は、先が尖がった「船形」になっている。

 履は、全面に線刻と列点文によって六角形の亀甲繋ぎ文が刻まれ、円形や魚形の歩揺が、金銅製の針金で綴じ付けられている。履の内側には比較的粗い目の布が張られ、履き口に沿って錦のような織物で縁取りがされた痕が残っている。

 履Aの亀甲文は、三角形の点を繋いで線に見せる技法(蹴り彫り)の線3本と、点打ちによる線2本を交互に彫った5本の線で一辺が形作られている。どれも表側から彫刻され、まっすぐに、各辺の長さや方向も一定で、端正な亀甲文となっていることから、きっちりとした下書きの上に線刻されたものと考えられる。

 履Bの亀甲繋ぎ文は、点打ちによる線彫り3本で辺が形成されている。真ん中の点打ちによる線刻は裏から、外側の2本は表から打たれている。

 亀甲繋ぎ文は、辺から辺を繋いでいくと無限に広がる文様で、古代の人々は、金属製品や宝石、ガラス玉などの輝きとともに、この無限の広がりに永遠の時を象徴しようとしたものであろうか。

 履は棺内の足元に立て掛けられており、葬送儀礼の後に置かれたものと思われる。

 百済・武寧王陵では、つま先を上に、踵を下にした状態で埋葬され、一番目に付く履底の全面に亀甲文を彫り、歩揺が飾り付けられている。

 新羅の飾履塚(5世紀後半〜6世紀初)出土の履は、内側が銀製、外側が金銅地金に鍍金されている。爪先が反りあがり、底には10本の四角錐のスパイクが付けられている。

 内側板は全面が亀甲文で区画され、その中に花弁文が刻まれ、外側板にも亀甲文とその内部に花弁文と鳳凰が刻まれ、周縁は火炎紋で飾られる。

 底板には9個の亀甲文に鬼神と鳥文様が交互に、踵側には八弁蓮華文が内側に彫られ、左右の亀甲文には鳥、人面鳥身像、怪獣などが対称に配置される。周縁には、つま先に向かって火炎文が燃え上がるように刻まれる。

 藤ノ木古墳の履は朝鮮渡来か、朝鮮系の技術を受け継ぐ集団の存在なしには考えられない見事な工芸品のひとつである。(権仁燮 大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.6.14]