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ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」、各地で上映へ

「民衆の視点から歴史見直す」

布施辰治

 朝鮮独立運動への献身的支援、関東大震災での朝鮮人・社会主義者虐殺の真相追及など、徹底的に民衆のなかにあって、不屈にたたかった「弁護士布施辰治」(1880年〜1953年)のドキュメンタリー映画が完成し、5月28日(東京・なかのZERO)を皮切りに各地で上映中だ。布施は、「明治、大正、昭和」の三代にわたって、終始一貫、「民衆の味方」「弱く貧しき無産者の友」の立場に徹し、まさに「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を貫いた。完成した映画は、植民地統治下、まったくの無権利状態に置かれた朝鮮人民のために、献身的に、あらゆる法的手段を尽くして救済活動を行った布施の生涯を感動的に描いている。

 今年、生誕130年を迎える布施は、宮城県石巻市出身。映画製作委員会の筆頭代表は元日本弁護士連合会会長の阿部三郎氏(女川町出身)。「郷土が生んだ偉大な人物。映画化で、平和を求め正義を貫いた崇高な生き方に光が当たる」と映画の完成を喜ぶ。

 脚本・監督にあたったのは、小林多喜二、田中正造などのドキュメンタリー映画を数多く手がけて定評のある池田博穂氏。「韓国併合から100年、布施辰治の生きざまを通じて、民衆の視点から歴史を見つめなおし、この過酷な時代に、命をかけてたたかった人間の覚悟というものを、私たちは胸に刻み、語り合っていきたい」と語った。

 布施は、戦前4回にわたり朝鮮に渡っている。義烈団事件、朝鮮共産党事件などで朝鮮独立のためたたかって捕えられた独立闘士や、大地主や東拓のために土地を奪われた小作人たちの苦境を救うためのものであった。

 在日朝鮮人にとって忘れることのできないのは、関東大震災での朝鮮人虐殺事件に対しての激しい抗議と真相調査活動だ。犠牲者追悼集会での「殺されたものの霊を弔ふの前に、先づ殺したものを憎まねばならぬ、呪はねばならぬ。そして其の責任を問ふべきものである」という官憲と日本人を糾弾する追悼演説など寝食を忘れた布施の奮闘ぶりである。

関東大震災時のシーン(主演は俳優の赤塚真人氏)

 さらに日本官憲は朴烈・金子文子による「大逆事件」をねつ造する。布施はこの2人を弁護し、事件がでっち上げだと追及するが大審院の判決は「死刑」であった。その10日後、「死刑」は「無期懲役」に減刑されたが、文子は獄中で自殺する。布施は文子の遺骨を引き取り、朝鮮の朴烈家の墓地に埋葬する。朝鮮人の心と一体化した文子の心情に、布施は己れの心をダブらせたものであろうか。

 布施は多くの無産運動を支援、自由法曹団を結成して、法的救援の幅を拡げたり、官憲の横暴を容赦なく批判する。戦前、二度にわたり弁護士資格を奪われ、何度も投獄された。布施の子息・杜生も学生運動で検挙され、44年獄死する。弁護士資格を奪われていた布施は「俺の息子ゆえに殺された」との思いを強くし、戦後弁護士資格を取り戻すと、若者たちの命を救うために全力を尽くす。

 日本敗戦後は復活した布施に大活躍の場を与えることになる。三鷹事件や松川事件などの弁護人として、さらに、朝聯に関係するものとして、神戸朝鮮人学校事件、国旗事件、深川事件、朝聯・民青解散事件、東京朝高事件、台東会館事件などの弾圧事件の弁護を引受けて在日朝鮮人の権利擁護の先頭に立った。

 5月21日、東京都内で関係者による試写会が開かれたが、この映画に出演した在日同胞の辛昌錫さんは、「植民地支配下で『朝鮮人は人間か、いわしが魚か』と言われていた。秋田・大館で同胞の密造酒容疑の裁判があったが、そのとき布施先生は法廷で堂々と『この朝鮮人諸君は…』と力強く弁護された。同胞たちが欣喜雀躍した姿が今も目に焼きついている。日本に侵略され、苦しんだ朝鮮民衆の側でたたかい続けた布施先生を私たちは忘れてはならず、日朝友好の鑑として学んでいくべきだと思う」と語っていた。(朴日粉記者)

 ※(映画の問い合わせ=TEL 03・5840・9361)、上映日程は順次「みんなの広場」掲載)

[朝鮮新報 2010.6.7]