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東京・墨田区八広「ほうせんかの庭」で 日本市民、朝大生ら「追悼碑」の手入れ

「ほうせんかの庭」の手入れをする参加者たち

旧四つ木橋周辺で関東大震災当時の説明を聞く参加者たち

 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の追悼碑が建てられた「ほうせんかの庭」(東京都墨田区)で5月29日、手入れが行われた(主催=グループほうせんか)。

 荒川放水路旧四ツ木橋河川敷に設けられていたほうせんか・むくげが植えられた花壇は国、区から許可が降りず撤去せざるをえなくなった。それらの苗を去年の9月、河川敷付近の民家の一角に建てられた追悼碑を囲む庭に移した。その庭を関係者たちは「ほうせんかの庭」と呼ぶようになった。そして「庭」を見守っているのはとなりに自宅を構える、グループほうせんかの西崎雅夫代表。その庭は常に開放されていて、いつ誰でも訪れることができる。

 午後2時、日本の市民、朝鮮大学校の学生ら約20人が庭の手入れをし、ほうせんかの種を植えた。そしてその後、河川敷へ移動した。

 当時の朝鮮人虐殺について解説した西崎さんは「日本全国でみれば、墨田区だけではなく調査されていない場所がたくさんある。すべての遺骨を掘り返し、全員の名前まで調べあげなくてはいけない。そのためにもさらに活動を広げ、もっと多くの人にこの碑を知ってもらえるよう頑張りたい」と話した。

 墨田区に住んでいる慎民子さんは「大切なのは日本人がもっと過去の事実を知り、共有すること。そのためまずは墨田区から広まるようこれからも活動していきたい」と語った。

 6月26日には追悼碑建立を記念し、第2回チャリティーコンサート「ほうせんかの夕べ」が曳舟文化センターで行われる。(尹梨奈記者)

[朝鮮新報 2010.6.4]