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神奈川で日朝友好展48回展覧会 絵画、書芸、写真など626作品、1600人で盛況

半世紀を超えた芸術の交流

伊万里大皿「高句麗壁画四神図」(朴正文)

半世紀もの間、人々の心のかけ橋として発展してきた日朝友好展

 日朝友好展第48回展覧会(主催=同運営委員会、全絹枝実行委員長)が5月24〜30日、神奈川県横浜市の横浜市民ギャラリーで開かれた。約1600人の観客が会場に足を運んだ。

 1960年から51年間(62年、71年、72年を除く)にわたり、さまざまな困難を乗り越えて開催されてきた同展覧会は、朝・日芸術家および愛好家たちの文化交流を通じて日本と朝鮮の歴史的交流の深さを語り、友好と連帯、一日も早い国交正常化と朝鮮の自主的平和統一の実現への願いを時の流れとともに刻んできた。

 会場には96人の朝・日芸術家と愛好家たちによる絵画、写真、書芸、工芸・彫刻、詩歌などの作品390点と神奈川県下の朝鮮学校および西東京朝鮮第2初級学校の児童・生徒らが出展した236点の作品など総数626点が展示された。

 今年は「韓国併合」100年の節目の年でもあり、油彩「李朝の壺」(呉炳学)、写真「日韓併合100年・日本各地の碑に見る民族抑圧・慟哭の記憶」(藤田観龍)、書芸「大東千字文より」(李裕和)、詩歌「少女・柳寛順」(向井毬夫)などの作品も展示された。

 朝鮮画「妙香山」(楊潤風、功勲芸術家、絵画特別出品作)はじめ1点1点の作品を入念に観ていた映画監督の前田憲二氏は、5年ぶりに会場に足を運んだという。

 「以前に比べて絵のレベルが上がったようだ。こんな時代だからこそ表現者たちが集まって展示会を開くことに意義がある。昨年、壬辰倭乱をテーマに長編記録映画を制作した。平壌や妙香山など朝鮮でも撮影を行い、現在、日本各地で上映中だ。100年前、日本は朝鮮に何をしたか。100年後の今、日本の某テレビ局では、歴史の真実を実証する番組を放映する一方で、過去の反省もなく日本の朝鮮侵略を肯定した『坂の上の雲』や『竜馬伝』を放映している。日本人は未来について考えなくてはならない。この厳しい時代に、すばらしい展示会を開いたみなさんに敬意を表したい」と語った。

 越水紀久子さん(元横浜市立大正中学校校長)は、通りすがりに会場へ足を延ばした。幼い頃を忠清北道忠州市で過ごしたという。

油彩「マサイの太陽」揚鋼粮)

写真「孫」(李武男)

 「芸術に国境はない。美しいものを追い写真を撮る人の心は、朝鮮も日本もない。組み写真も自由に組まれていて、肩がこらずに見られて良い」と話した。

 横浜市在住の李賢さん(38)と志津子さん(30)は、生後4カ月の息子・由夷くんを抱いて写真「孫」(李武男)を眺めていた。2人とも同展を観にきたのははじめて。写真のモデルは由夷くんで、撮影者はハラボジ(祖父)だという。

 「今回、息子の写真が出るというのでやってきた。もっとこじんまりした所かと思ったら意外と盛大で驚いた。テレビなどを見ると朝・日関係は極めて複雑だが、夫婦の間は円満だ(笑)。「高校無償化」問題で朝鮮学校に関するネット上のひどい書き込みを見ると呆れてしまう。首相の発言も同様だ。息子には元気で健康に育ってもらいたい。この先日本の社会でたくましく生きていけるよう、朝鮮学校へ送りたいと考えている」(賢さん)

 「私の実家は宮城県にあり、夫と出会うまで在日の知り合いはいなかった。今でも知らないがゆえに偏見を持つ人はいると思う。結婚して、子どもが生まれ、朝鮮の問題が一気に自分の問題となってきた。若い人の間でもっといろんな形での交流の場があったら、みんなが暮らしやすくなるんじゃないかなと思う。今のままじゃ、子どもたちのことが心配になってくる」(志津子さん)

 48回展の成功を喜び、全絹枝実行委員長は、「政治・経済的な困難を乗り越えて、2年後の50回展は祖国・平壌で開催したい」と意欲を見せた。

 29日夕、第48回展記念交流パーティーが開かれ、文芸同中央の金正守委員長、総連神奈川県本部の鄭喜Q委員長などがあいさつし、友好展に長い間貢献してきた朝・日関係者の尽力に深い謝意を表した。(文=金潤順、写真=文光善記者)

[朝鮮新報 2010.6.4]