〈渡来文化 その美と造形 17〉 藤ノ木古墳−筒形金銅製品 |
藤ノ木古墳から筒型金銅製品が出土している。儀式用具、頭飾り、楽器など、その用途はさまざまに推測されている。 両端が太く、中央部が細い中空のもので、両端には円形の金銅版を当ててある。薄い金銅板を丸め、中央のくびれた部分に、幅3センチの金銅板を巻き付け、それを八個の鋲で固定している。中央部と両端を除いて、全体に140個あまりの歩揺が付いていたようで、発掘時に約60個が残っていた。歩揺は長さ2センチ前後の心葉形で、本体に小さな穴をあけて針金で取り付けてあった。中央部に幅1センチ程度の紐が通されている。 高句麗では、6世紀末ころに「腰鼓」と呼ばれる現在の長鼓に似た楽器があったことが、古墳壁画などからも知ることができる。 集安にある五墳四号墳の壁画にこの筒型金銅製品とよく似た楽器を首から紐でぶら下げた伎楽天が描かれている。 五墳四号墳は6世紀末〜7世紀初の石室封土墳で、墓室の天井や四方の壁および羨道の両壁と棺床などに、四神図や、絡み合う龍、飛天、伎楽天、日神、月神、日月、星宿などが描かれている。 この古墳の北側の壁に描かれている三天人のうち、真ん中の伎楽天は、両端が太く中央部が細い楽器を、紐のようなもので首から下げている。天人は右手をあげ、左手で楽器の側面を打っているかのような姿に描かれている(図参照)。 「隋書音楽志」に、6世紀末頃、高句麗楽には「腰鼓」という楽器があったと記されている。これがその腰鼓であると考えられる。 壁画の天人の身体と楽器との大きさの比率から、この楽器と藤ノ木古墳出土の筒形製品の大きさが近いことがわかる。 新羅文武王代の「癸酉銘全氏阿弥陀仏三尊石像」(673年)の側面に8人の伎楽天が彫られており、その中に腰鼓を打つ天人像がある。後期新羅の青銅製舎利容器にも腰鼓を下げた伎楽天人像がある。形も大きさも五墳四号墳壁画とよく似ている(朴鐘鳴「奈良のなかの朝鮮」から)。 藤ノ木古墳の筒型金銅製品は朝鮮半島の腰鼓が形式化し、儀式化したものと考えられる。 この腰鼓がどのような音色であったかは想像するしかないが、同じ壁画に描かれた琴、弦咸、角、笛、肅、太鼓、鐘そして奚婁などの楽器と合わさったその演奏に、人々はどのような感慨を抱いたであろうか、想像に余りある。(朴鐘鳴 渡来遺跡研究会代表、権仁燮 大阪大学非常勤講師) [朝鮮新報 2010.5.31] |