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植民地を生きた知識人 「朝鮮学」と湖岩・文一平

「未来文明に人間の希望を」

 今年は朝鮮が日本の植民地となって100年に当たる節目の年である。日本の植民地支配とはいったい何だったのか、あらためてさまざまな角度から議論されるに違いないが、これまではどちらかといえば支配者側の政策面に重点が置かれ、被支配者である朝鮮人の主体的活動に関する考察は相対的に少なかった。植民地の生活空間において、人々は何を思い悩みそれを打破するためにどのような活動を行っていたのか、そしてそれはその延長線上に暮らす在日同胞にどのような教訓を与えるのだろうか。

出会い

文一平

 今から30年ほど前のことである。現在ではインターネットによってソウルで出版された書籍も容易に入手できるようになったが、当時、東京では高麗書林か三中堂を通じてのみ可能であった。三中堂は古書も扱っていたが、ある時「湖岩全集」という本を見つけた。そのときには湖岩・文一平がどのような人物かまったく知らなかったが、第一巻は「政治・外交編」、第二巻は「文化・風俗編」、第三巻は「史譚・紀行随想編」とあり、朝鮮の歴史・文化・外交史と関連する興味ある文章が収録されていた。最後の頁には1948年3月31日発行非売品とあり、非常に貴重な本であることがわかった。価格は全三巻1万2千円と決して安くはないが、かといって高いとも思わなかった。すぐに購入したが、数年間は本棚に置いたままであった。

 そんな筆者の前に文一平の存在が大きく浮上したのは、洪以燮「朝鮮科学史」によってである。この本は朝鮮が解放される1年前である1944年に日本の三省堂から出版されているが、その事実に驚くとともに、それを可能とした学問的土壌が気になった。そこで引用文献を注意深く見ると、恩師・先生と尊称をつけた二人の学者がいた。その二人こそ文一平と鄭寅普であった。

書物に残された文一平の文章

 日本の植民地支配のもっとも重要な特徴は、朝鮮民族の主権を奪っただけでなく、創氏改名や朝鮮語の禁止など民族そのものを抹殺しようとしたことにある。そのような状況のなかで民族の自我確立のため「朝鮮心」を鼓吹すべく精力的な活動を行った愛国的学者たちがいた。文一平、洪命憙、白南雲、安在鴻、鄭寅普らで、いずれも朝鮮現代史にその名を残す人たちである。

 現在、実学研究が盛んに行われているが、朝鮮後期の学者たちの業積を発掘・整理し、それを「実学」として高く評価したのも彼らであった。

 その学術内容は「朝鮮学」と呼ばれたが、その展開で中心的役割を果たした人物が歴史学者にして文筆活動家である湖岩・文一平である。

2つの資料

文一平とその家族

 さらに、最近、文一平の人物像を一新するような二つの資料が出てきた。一つは平壌在住の外孫にあたる人物が文一平について書いた手記である。手記には、彼の生涯とともに、遺族にしか知りえない興味深いエピソードが多数紹介されている。例えば、洪命憙とともに民族資本家の製品であるゴム靴の名称を「亀甲船」とつけたところ大々的に売れて、その謝礼を互いに譲り合ったことや、李承晩が訪ねてきたとき彼の本に掲載された明成王后の写真がまったくの別人であると叱ったことなどである。とくに文一平が1939年4月3日に急死したのは日本の警察による毒殺と遺族は認識していること、さらに金日成主席の父・金亨稷先生の指導の下に反日活動を行っていたという記述は大きな波紋を起こすだろう。ただし、「民族21」2009年6月号にこの手記の抜粋が掲載された際には、この事実は伏せられている。その理由は推して知るべしである。

 もう一つは2008年ソウルのサルリム出版社から刊行された「文一平1934年―植民地時代一知識人の日記」で、朝鮮日報編集顧問を務めていた1934年度の卓上日記の全文を掲載したものである。原文は漢文であるが、そのハングル翻訳文とともに、この年に文一平が執筆した朝鮮日報社説を収録している。一年のできごとがすべて記されており、日々の学術活動の詳細を知ることができるが、あることで酒を痛飲し二日酔いで寝込んだことや、嫁の金の指輪を売って東京に留学している息子の学費としたこと、娘の夫婦仲を心配する記述など、日々の生活で思い悩む一知識人の等身大の姿が浮かび上がってくる。前述の手記とこの日記とをあわせ読むと、学問に厳しいながらも家族思いのその人柄が伝わってくる。文一平の文章は誇張した語調による感情的なものではなく、落ち着いた淡々とした文体で読者をひきつけるところに特色があったと言われているが、それもその人柄によるものだろう。

 「人類の進化はゆっくりとしている。朝鮮が歴史を持つも数千年をしてやっと李朝にきて人文結晶した訓民正音が生まれ、今後この民族的至宝を朝鮮人個々が充分に活用し、よりいっそう美しい新文明を創造するのには、どれだけ長い歳月がかかるのか推しはかるのも難しい。しかし、現在成熟した文明の果実を取り入れることよりも、未来文明の花を見るために、今日はその種を蒔くことに人間の希望がある」

 「湖岩全集」第二巻所収「史眼からみた朝鮮」のなかの一節である。植民地下の状況を考えると意外なほどに楽観的であるが、かえってそれが当時の人々を勇気づけたのだろう。そして、今、在日同胞に求められているのも何事にも屈することのない強い意志とともに、確かな歴史観に裏打ちされたそんな楽観性なのかもしれない。(任正爀・朝鮮大学校理工学部教授)

[朝鮮新報 2010.5.21]