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全国人権作文コンクール 最優秀作品 「トンム〜友達〜」

 全国人権作文コンクールで、兵庫県・猪名川町立中谷中学校3年の足立奈央さんの作品「トンム〜友達〜」が兵庫県伊丹地区の最優秀作品に選ばれた。同作品は人権作文集に掲載されている。その全文を紹介する。

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 私は吹奏楽部に入っています。夏には、コンクールに出て他の学校と競い合います。コンクールに出場する学校の中でも、私たちのライバル、というよりその学校が演奏する音楽を見本にしている学校があります。その学校とは、朝鮮学校です。

 私は中学校に入学して吹奏楽部に入り、コンクールに出てその朝鮮学校を知るまで、本当にまったく、何も知りませんでした。実際、「在日朝鮮人」という人々のことを改めて考えたのも、その年、中学1年生の年の冬でした。授業は道徳でした。担任の先生から何枚かプリントが配られました。そのプリントに大きく書かれているタイトルは、「この世の生き地獄だった−強制連行−」や、「奴れいのような炭坑労働」といった言葉でした。そして、そのプリントに書かれてある事実や、実際に強制連行された方の気持ちを表している文章を読んでいくと、驚きの半面ショックも受け、複雑な気持ちになったことを、今でも覚えています。日本は昔、戦争などで外国にひどいことをたくさんしてしまったのは知っていました。でも、そのせいで今でも母国へ帰れない人たちがたくさんいるという事実は知りませんでした。そして、今日本に住んでいる朝鮮の人は、日本・日本人に恨みを持ち続けながら過ごしているのかなぁと考えたとき、悲しく、悔しく、申し訳なかったです。しかも、本人じゃなくとも、当時強制連行された人の孫であったりひ孫であったりする、私たちと同じ年代の人、つまり朝鮮学校の人たちとコンクールで会う機会があったので、それらの気持ちは大きかったです。

 あるとき、コンクール会場で何かクスクスと笑っている中学生が2人ほどいました。そのとき、私はあの人たちがなぜ笑っていたのかに気がつきませんでしたが、後で考えてみると、近くに1人の朝鮮学校の人がいたのを思い出しました。そしてそのとき、笑っていた人たちは、その朝鮮学校の人をチラチラ見ていたのも思い出しました。やっぱり、朝鮮学校の人たちは、私たちとは違うのだろうか。日本語を話せないのだろうか。私たちに対しての態度は冷たいのだろうか。そんなことを考え、私たちも恨まれているとすれば、少しこわいなぁとも思ってしまいました。

 でも、そんな私自身の気持ちが一変するようなものがありました。それは音楽です。朝鮮学校の人たちの、吹奏楽の演奏を聞いたとき、その音が心に響きました。上手い。それだけでなく、気持ちがどの学校よりも込められていました。その演奏を聞き終えた後、それまで思っていたこわいとかいうことは、単なる偏見であり、とても恥ずかしくなりました。

 一度気持ちを入れ換えて、友達と一緒に、朝鮮学校の人に声をかけてみようと思いました。最初は不安でした。でもその不安は無用でした。相手はとても笑顔で話してくれて、日本語も決して片言ではありませんでした。

 その人たちとは今も友達です。友達になれてよかったと思えるくらいいい友達です。中学1年生のころの冬、授業で在日朝鮮人のことについて何も教わっていなければ、また、コンクールで朝鮮学校の人たちと会えていなければ、私が大人になったときに偏見してしまうかもしれません。もちろん今からでも可能性がないとは言い切れませんが、でも、これまでの経験・朝鮮学校の人たちと出会えたこと、そして友達になれたことは、私の中で欠かせないものとなりました。

 でもまだまだ勉強不足です。私自身の気持ちを、もっと強いものに育て、将来は日本人にも朝鮮の人にも、偏見のない世の中になったらいいと思います。(足立奈央)

[朝鮮新報 2010.5.21]