〈朝大 朝鮮歴史博物館-9-〉 朝鮮の三国時代6 高句麗/人物風俗画U |
高句麗人の衣・食・住 高句麗の古墳壁画からは当時の生活模様も見てとれる。たとえば彼らがどのような衣服をまとい、どんなものを食べ、どのような家屋に住み生活したのかなどである。前号に引き続き今回も高句麗人の暮らしを活写した壁画古墳について見ることにしよう。
セットンチマ
高句麗人は上着とズボン(チマ)に分かれた衣服を身につけていたが、これが今日の朝鮮民族の衣装に通じるということは容易に理解できると思う。上着は襟や袖、裾が二重に縁どりされているのが一般的である。女性は裾長のチマ(ロングスカート)をよくはいていたようである。では早速、水山里古墳の女性主人公を見てみよう。彼女のチマがロングスカートであることは一目でわかると思う。よく見るとこのチマが襞のあるチュルムチマであることにも気付くであろう。しかも驚くことにこのチマはカラフルな縞模様で彩られているではないか。 読者の方々もよくご存知のセットンチマが高句麗時代からの由緒あるものとは実に驚きである。このチマは遠く離れた日本でも流行したようである。古代日本の都が置かれた飛鳥(奈良県高市郡明日香村)から発見された高松塚古墳には、「飛鳥美人」と称される女子群像も描かれているが、この女性たちもセットンチマを身に着けているのである。 当館ではさまざまな衣装を身にまとった高句麗の老若男女を数多く見ることができる。来館の際には高句麗人のファッションに目を留めてみるのもいいかと思う。
穀物の調理
古墳壁画は高句麗人の食文化もよく伝えてくれる。彼らは主に狩猟を生業にしたと思われがちだが、以前紹介した徳興里古墳壁画の墓誌に「酒や米は食べきれない」「朝に食す醤油を蔵一個分も保管した」とあるように農業も営んでいたのである。 では穀物をどのように調理したのであろうか。そこで当館所蔵の安岳第3号墳(模型)を見てほしい。ここには厨房にたつ婦人が登場している。彼女は大きな焚き口が見えるかまどに置かれた甑(米などを蒸す器)を忙しそうにかき混ぜている。甑からはおいしそうな湯気が立ちのぼっている。厨房の奥には整然と並べられた食器、脇には雉や猪などを吊り下げた肉貯蔵庫が見える。 この婦人、料理の腕前がかなりのものであったらしく、匂いに誘われてきた二匹の犬が傍らでうらめしそうに座っている。厨房の屋根にはどこからか飛んできたカラスも見てとれる。のどかで平和な暮らしの様子がユニークに表現された展示品である。
「オンドル」使用
高句麗人の貴族は瓦で葺かれた家屋に住んでいた。このことは王宮や寺院址から発見された数々の瓦から容易に想像することができよう。住まいの中の様子は主人公図から知ることができる。これまで徳興里や安岳第3号墳の主人公図を紹介してきたが、ここでは薬水里壁画古墳の主人公を紹介してみよう。 古墳には夫婦仲良く座っている主人公図が描かれている。右隣には北方の守護神である玄武が、上方には北斗七星などの星座が確認できる。夫婦は床上に胡坐をかいて座り、男女二人ずつの侍者をひきつれている。よく見ると男性の脇に立つ者が食べ物を勧めている様子がわかる。ここからも見てとれるように既に靴を脱ぎ床上で生活する風習があったと思われる。高句麗の住居址からはよく「ㄱ」字形をした煙道が発見されるが、これは当時の人々が今も朝鮮で使われる「オンドル」という暖房施設を用いていたことを証明してくれる。薬水里古墳の夫婦もまた「オンドル」が施された暖かい床上でくつろいでいたのであろうか。(河創国・朝鮮歴史博物館副館長) 朝鮮歴史博物館へは「朝鮮大学校国際交流委員会」へ電話連絡のうえお越しください。 朝鮮大学校 東京都小平市小川町1−700、TEL 042・341・1331(代表)。 アクセス ・JR中央線「国分寺」駅北口より西武バス「小川上宿美大前行き」または「小平営業所行き」「朝鮮大学校」下車徒歩1分 ・JR中央線「立川」駅北口より立川バス「若葉町団地行き」、終点「若葉町団地」下車徒歩10分 [朝鮮新報 2010.5.14] |