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春の平壌を取材して 平壌で出会った海外同胞たち 「祖国とともに私たちはある」

民族の根本精神は高句麗壁画古墳に

第2回4月の春人民芸術祭典の公演を祝って繰り広げられた子どもたちのアトラクション

鳳水教会で賛美歌をうたう信者たち

蒼光幼稚園で海外同胞を迎える園児たち

試合をひかえ大同江畔でテコンドーの練習に励む小学生の姿

ポカポカ陽気を楽しむ平壌の双子

南浦市の江西大墓のユネスコ世界遺産登録のパネル
平壌大劇場の一角に設けられた「青空写真館」が大にぎわい

牡丹峰で弁当を広げる勤労者たち

日曜日の昼、牡丹峰の広場で春の到来を喜び踊りの輪が広がっていた

 今年の平壌は、春の到来が20日ほど遅く、黄色のレンギョウも、白いアンズの花もまだつぼみが開いてはいなかった。10日から15日までは最低気温は零度前後が続いた。そんななかでも、平壌の名所、牡丹峰は、休日を楽しむ家族連れで賑わう。待ちきれないのかまだ咲かない「花見」を楽しむ人々も大勢いた。

 そんな寒さが続いた13日、平壌から高速道路を飛ばして車で30分ほどの南浦市江西区域三墓里にある高句麗壁画古墳の江西大墓に向かった。春まだ遠いこの日、雪が舞うなかで、人々は田んぼで営農準備に忙しなかった。

 これまで発掘調査された高句麗壁画古墳は約百基ほど。「大墓」の前には、2004年に世界遺産に登録されたことを示すパネルが表示されていた。

 古墳の解説者・朴琴哲さん(46)の案内でさっそく古墳の中へ。羨道から玄室にいたる4つの扉をくぐったその先には、朱色も鮮やかな北壁に描かれた玄武の図が目に飛び込んできた。「これかー」。まるで生きているかのように生々しい亀の体に巻きつく蛇の姿。優れた構図と洗練された筆致に、ただ見惚れるばかりだった。これまで、秀逸な模写図は何回も観てきたが本物と対面するのは初めて。現代のどんな巨匠が挑んでも敵わぬ美の極致だ。

 壁画の前に立ち、すでに鬼籍に入られた2人の画家を思い出す。一人は南の民衆のたたかいを精魂込めて描き続けた故李應魯画伯。いま一人は故平山郁夫画伯である。

 李さんは67年の「東ベルリン事件」(KCIAが滞欧朝鮮人70余人を拉致、投獄した)で、2年間の獄中生活を強いられた時も、揺らぐことなく祖国統一を念じ、独裁政権に抗し続けた。終生、パリで亡命生活を続けられたが、日本に来た折り、訪ねてきた若い同胞芸術家たちにこう語られたことがある。「民族の根本を見つめなさい。わが民族が最も栄えた高句麗の壁画に描かれた青龍や玄武の図に溢れ出る力こそが、朝鮮民族の気概であり、世界最高の文化遺産である。われわれの芸術の精神もそこに基礎を置くべきだ」と。

 一方、平山画伯は、生前に12回訪朝、高句麗壁画古墳のユネスコ世界遺産登録に誰よりも熱心に取り組まれた。

 あるとき記者のインタビューに、「長い間憧れてきた高句麗壁画にようやくめぐりあえた時の感動は忘れない」としみじみ語られたことがある。平山さんをとりわけ魅了したのが、この「大墓」の四神図だった。「懸腕直筆で一気に線を引く描写力は見事。これまで見た四神図でもっとも優れている。筆力が雄渾であるにもかかわらず、優美であり、造形からしても一級品。墨色の濃淡が時代の味となっており、言い知れぬ効果を出している。…まさに東アジアの貴重な文化遺産である」と。

 遥かな永遠のときを超えて、民族も国境も越え、私たちの魂をとらえるものは、確かに存在するのだ。解説員の朴さんは、平山さん夫妻が江西を訪れるたびに、案内にあたった人だ。

 「先生の訃報を聞いて、ただただ悲しかった。壁画古墳のために心血を注いでくださった先生のことを私たちはいつまでも忘れないでしょう」と偲んでいた。

 18日には、朝鮮の信者ら約200人とともに、午前10時から始まった鳳水教会(プロテスタント)のミサに参加した。ここには在米同胞芸術家の洪晶子さん(65)やオランダなど各国からの賓客らも出席し、ともに祈祷し、賛美歌をうたった。洪さんは、牧師に促されて、信者らにこう語った。「久しぶりに祖国を訪問することができた。私にとって、祖国そのものが『教会』。祖国のどの地を訪れても敬虔な気持ちになる。祖国はこの数年、大国の横暴と圧力のなかでたび重なる苦難と試練を強いられたが、金正日総書記とみなさんが祖国を堅固と守ってきた。私たちはどんなときにも常にみなさんとともにいる」と。

 その日の夜、平壌市内で太陽節を迎えて開かれた銀河水音楽会に出席した。華麗な舞台後方の大きなスクリーンには金日成主席の祖国凱旋の模様が映し出されていた。

 「花も咲かず、春も来なかった祖国の大地に、解放の新しい春を抱かせてくださった主席…」。司会者の言葉が胸に染みとおった。

 慌しい祖国への旅を終えた20日。平壌空港で、モスクワに住む李玉子さん(70)と会った。李さんは北緯50度以南のサハリンで生まれ育った。かつては少数先住民族が住むロシアの流刑地だったが、ロシア人が去り、日本人が移住し、朝鮮人が送り込まれ、敗戦後は、ロシア領に戻って日本人は引き揚げ、朝鮮人は置き去りにされた。その地で懸命に生きた李さんは、サハリンで教鞭を執っていたが、退職後は、娘夫婦の住むモスクワに移住したという。

 「ロシアにも表には出ない民族差別はある。1960年代から80年代まで、民族教育が禁止された。そんななかで、民族のルーツを守るために血のにじむ努力をしてきた。平壌に来るたびにその努力が間違っていなかったと確信できる。祖国が強大であればこそ、私たちはどこに暮らしても心から安心できる。20世紀に何度も戦場となった朝鮮半島だが、今世紀こそ、一つの民族として生きねばならない」と。(文、写真=朴日粉記者)

[朝鮮新報 2010.4.28]