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〈朝大 朝鮮歴史博物館-8-〉 朝鮮の三国時代5 高句麗/人物風俗画T

高句麗人の暮らしを描く

人物風俗画展示コーナー

 高句麗の人々はどのような生活をしていたのであろうか。

 誰もが持つ素朴な疑問ではあるが、これに答えるとなるとなかなか難しいと思う。今から千数百年も前のことだから仕方がないのかもしれない。

 実はこの問いに答えるために重要な役割を果たすのが古墳壁画なのである。壁画は高句麗人がどのような生活をしていたのかを可視的に理解するための一級資料といえる。高句麗壁画はそのモチーフにより、人物風俗図と四神図に大別されることは以前述べたとおりである。高句麗壁画古墳の第3回目となる今回は人物風俗図についてみることにする。

安岳第3号墳の主人公

安岳第3号墳の主人公

 墓主の生前の姿を描いた主人公図は人物風俗図によく描かれるモチーフである。徳興里壁画古墳では、墓主の鎮が前室と玄室の2カ所に描かれていたことは記憶に新しいと思う。早速ではあるが壁画古墳最大の墓室を誇る安岳第3号墳とその墓主について見てみよう。

 黄海南道安岳郡五局里に位置するこの古墳は、墳丘(盛り土部)が東西30メートル、南北33メートル、高さ6メートルにもなる。半地下に築かれた墓室は、門室と前室、玄室、そして二つの側室から構成され、玄室の周りには回廊(折れ曲がった廊下)まで設けられている。南北10メートル、東西7.5メートルにもなる墓室は、さながら地下に築かれた宮殿を彷彿させる。ここに描かれた主人公は縦1.7メートル、横3メートルの大きさで、当館の壁画のなかでも抜群の存在感を示している。

 周囲の者よりひときわ大きく描かれた主人公を見てほしい。実に堂々としていて威厳に満ちあふれているではないか。墓主は小さく描かれた左右の者から報告を受け、指示を与えているようである。部下には朱色で書かれた「記室」「門下拝」などの説明文があるがこれも見てほしい。また墓主がかぶっている冠をつぶさに見ると、黒地の冠帽の周りが白いうす絹で彩られているのがわかる。

 「旧唐書」高麗伝(中国の歴史書)が「(高句麗王は)五色の服をまとい、白羅(白いうす絹)を冠とする」と記すように、「白羅冠」は高句麗王の証拠なのである。朝鮮の学界ではこの人物を第16代故国原王にあてている。

 故国原王とは「国(都)の平原に墓を造った王」という意味である。なるほど黄海道地方は朝鮮の重要な穀倉地帯であり、古墳がある五局里一帯には現在も平野が広がっている。

 当館では安岳第3号墳の模型も展示している。先ほど述べた墓室の構造、厨房や井戸、馬小屋など高句麗人の生活模様が活写された壁画を楽しんでほしい。

薬水里壁画古墳の狩猟図

1階ロビーの狩猟図(左側)

 人物風俗図のなかでよく用いられるモチーフには狩猟図もある。

 狩猟図とは騎乗の武人が弓矢で虎や熊、鹿などの狩りをする場面を描いたものをいう。当館には二点の狩猟図が展示されており、また徳興里壁画古墳の模型(前室天井)でも確認することができる。ここでは一階ロビーで見ることができる薬水里壁画古墳の狩猟図を紹介しておく。

 この古墳は南浦市江西区域薬水里に位置する。徳興里壁画古墳からは数キロメートルほどの距離で、築造年代も5世紀初とほぼ同じである。壁画の中央やや左手に黒い馬に乗った武人が弓矢をつがえて虎を狙い、その背後の山々には数人の勢子が獣を追い出しているのがわかる。また右手には大角笛をもった楽士や狩場にやってきたばかりの狩人もみえる。古文献は、高句麗では「毎年3月3日に楽浪の丘で狩猟をし、天や山川の神を祭る」と記すが、まさにその模様を描いたものであろうか。高句麗古墳の狩猟図のなかで最も大きいものとされるこの狩猟図は、まさに一見の価値があるといえよう。(河創国・朝鮮歴史博物館副館長)

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[朝鮮新報 2010.4.16]