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〈座談会〉 第38回在日朝鮮学生美術展・鳥取展 魅力あふれる子どもの作品群

三谷−日常の中で相互理解を 衝撃、直ちに行動へ
仲野−観る者の魂に響く 表現めぐる格闘に圧倒
 成−「ウリ」を共有できる出会い 子どもの思いを汲み取る

 毎年、日本各地で巡回展示されている「在日朝鮮学生美術展」が、昨春から日本人関係者を中心に、朝鮮学校が置かれていない鳥取県で開催されている。2度目の開催となった鳥取展(3月21〜23日、米子市美術館)で、朝鮮学校の子どもたちの絵が持つ魅力とパワーについて話を聞いた。

成明美さん(横浜朝鮮初級学校教員、在日朝鮮学生美術展中央審査委員)

  在日朝鮮学生美術展は、子どもたちの絵を通して同胞はじめ日本の人々に民族教育を知ってもらおうとの思いから、38年前に始まった。以前は中央展形式だったのが地方展形式に変わり、神奈川県では1994年から開催されている。95年からは地元の小学校と交流展示をしている。2000年から美術教育に関しての研究会を行うようになった。

 三谷先生に初めて会ったのは一昨年。川崎市での美術展でカメラを片手に熱心に作品に見入っている姿が目立っていた。説明をしようと思っていたところ、突然、「私たちもこの展覧会をやりたいんだけど、可能ですか?」と聞かれ、あまりにも唐突で答えにつまってしまって…(笑)。

 この人は一体何を言ってるんだろう? と思った。と同時に、鳥取にはウリハッキョ(朝鮮学校)があったかな? などと、一瞬にしていろんなことが頭をよぎった。

 三谷 僕自身は12年ほど前に山陰朝鮮初中級学校が合併される前から、同校と交流を密にしていた。その後は、鳥取や島根の子どもたちが倉敷、岡山校(当時)に行くことになったときに立ち合わせてもらったりして、岡山の朝鮮学校には運動会や学芸会、授業参観などに行っていた。

 偶然一昨年の11月頃、美術展のポスターを見た折に、ちょうど東京へでかける機会があったので、何かに引っ張られるように神奈川展に足を運んだ。

 美術展は、それまで観たいろんな作品展とは違う雰囲気が感じられた。何とかこれを鳥取へ持ってこられないかと最初に考えた。それで、関係者の成先生にストレートに思いを伝えた。

 日本人から美術展を開催したいとの申し入れがこれまでなかったことを後で聞き、それに驚かされた。

 鳥取でもこれまで在日朝鮮人との交流をやってきた。鳥取には民族学校がなく、子どもを入れたいと思っても幼くして親元を離して遠くの民族学校へ送ることを悩んでいる知り合いもおられた。保護者の民族教育に対する思いが熱いというのはわかっていた。民族教育の一端を鳥取に持って帰ってくることで、直接見聞きできるのはとても大事だ。その思いをストレートに伝えたことが鳥取展開催のきっかけとなった。

三谷昇さん(前鳥取展実行委員会代表、公立小学校教員)

  本当に、初めて聞いたときに目が点になってしまって(笑)。

 スタッフに私たちが加わらない中で日本人が主催してできるのかと。三谷先生に会ったのが一昨年11月末、中央審査委員会の朴一南委員長に連絡したのが12月初め。その年のうちに三谷先生が神戸に行かれたと聞いた。

 三谷 学校が休みに入った直後でクリスマス当日だったか翌日だったか。直に話したいと神戸まで車を飛ばした。ちょうど美術部室で生徒たちが作品を作っている最中だった。

 いろんな方にあとから聞いても「それはできるんですか?」という声が多かったが、僕にとってそれは、日本人がやるということより、朝鮮学校がないところでやるという点で大変なんだなというのは感じていた。

 しかし、それは今までないからこそやりたいという思いがあって。普段、民族学校に接しているところであれば、例えば川崎の子たちは少なくともそこへ行く機会やチャンスがある。鳥取にはそれがないので、ないなら持ってこようということ。単なる思いつきだったのかもしれない(笑)。

  それがあれよあれよと昨年1月に入って、なんか「実現するみたい」から「実現する感じです」に、そして「実現します」になって「3月に実施です」と。「えーっ!」とびっくりした。年末にそういう話があって、その年度内に実現されるとはまったく思っていなくて。何が何でも第1回目のオープニングにはその場にいたいと思って頑張ったが、卒業式とぶつかってその年は諦めるしかなかった。本当にそんなに早く実現するとは思わなかった。

仲野誠さん(鳥取県在日外国人教育研究会[倉吉]、鳥取大学准教授[社会学])

 三谷 最初は朴委員長と次の年の作品展を良い時期をねらってやろうと話していたが、そうやっていくと随分先の話になる。すると、こっちの熱も冷めちゃうかなという不安感があった。それまでいろんな人たちと地元で在日外国人教育研究会を立ち上げて、教員や市民や同胞の方たちと講演会やイベントをやってきた中で、思いついたことは早くやった方がみんな集まるということが実感としてあった。なので、神戸から帰ってすぐに20人ばかりの市民や同僚に集まってもらって、忙しいけれども最後の大阪展が終わった後ならなんとかなるということで3月開催を決めた。

 学校で働く身としては卒業式と重なるので大変ということはあったんだけど、やるならそれが良いと思った。とにかく早くみんなに見せたいという思いが強かった。そしてもうひとつは、自分がやってきた図工や子どもの作品づくりがどこかでねじれてしまっている感じがしていた。子どもの思いを大事にするというのが二の次、三の次になってしまっていて、ある種の見栄えの良さにこだわりすぎている絵を描かせてきたところがあった。

 子どもに自分の気持ちを表現する方法のひとつとして美術があるというけれど、実際にはそうなっていなかった。やろうとしても時間をかけてなかなかそうすることができないということを感じていた。それを朝鮮学校では、1人の先生とか1つの学校ではなく、全国の先生、それも幼稚園から高級部までがそろってそういう視点で作品が選ばれ、子どもたちが作業している、描いているという姿はちょっと僕自身に想像がつかなかった。なんでこういう絵が、こういう作品ができるのか、その驚きに背中をぐっと押された感じがした。だから、単に民族学校の子どもたちの絵を見てもらいたいという思いもあったが、もう一つにはなんでこういう形の絵をたくさんの子どもたちが描けるのかというのを考えてほしかった。

  三谷先生は、どうしてこんな絵が描けるのかという思いから、昨年の朝鮮大学校での中央審査を見学しにいらした。そのとき仲野先生が同行された。審査では、いわゆるキレイに描けた絵ばかりを選ぶのじゃなくて、作品から子どもの思いをどうやって見出すか、というところに重点を置いている。子どもの思いが伝わってくる作品が評価され、その中には、子どもたちの観察力や対象に迫る気迫、きちんと観察して、自分の思いを自分なりに描く。そこからまた新たに展開していく創造の過程が込められている。

作品を観る朝鮮学校の生徒たち。作者との手紙のやりとりも行われている(09年、東京展)

 仲野 審査会場では先生方が喧々諤々と互いに真剣に議論していて、強烈な気迫に満ちていた。そこには、美術展をもっと良くして行こうとか、新しい価値観を作り出していこうとかいう表現をめぐる格闘が展開されていて圧倒された。これはすごいと心から思った。

 作品の形とか見栄えのよさとかいう話が出たが、大学では表現方法こそ違うがそれに相当するものとしてレポートという作品がある。そこで僕が気になるのは、多くの学生たちが常に評価されることを大前提にして書いてしまっているということ。いかに他者によく評価されるかが気になっている。美術展の作品は、見栄えはごつごつしていて必ずしもスマートではないかもしれないが、観る人たちの魂に何か深く響くものがある。これが僕の強い印象だ。

  作品選びでは審査員の好みで偏らないように複数のメンバーで多角的に評価できるよう工夫している。根底には子どもの思い、表現したいものが表れているかがベースになっている。専門分野も担当学年も多岐にわたる審査員らが多方面から見て、評価される作品を選んでいる。

学生作家・呉梨世さん(左から二人目)の説明に耳を傾けながら作品に見入る人々

 三谷 僕自身が絵なり工作をするときに、作品には、その中に自分の話が語られていないといけないと言っている。要するに形が整っているかというよりも、思いをしっかり出せているかどうか、作り上げる過程と完成した時の自分の思いを伝えられるものを作らせたいと葛藤している。

 それを審査会では、先生たちが広い部屋に作品を並べて一つ一つをしっかり見て選んでいる姿を見て、なおかつ、なぜその作品が自分にとって選ぶ値打ちがある一点なのかということを、本当に時間をかけて話しあっている。そういう過程があって選び抜かれた作品を見たときに、技法も違うし、緻密な作品もあれば大胆にカットされてエキスだけが残っているようなものもある。さまざまな種類の絵すべてに共通しているのは「主張」があることだ。作者である子どもの顔形は見えないけど、その子の姿が見える。自分の学校の作品だったらまだわかるけど、そうじゃない子どもの作品を選んで審査している。子どもの絵や子どもそのものに対する思いへの違いが明らかに出ていた。だからこそ値打ちがあって時間をかけてしっかり選んでいる。本当に若い先生から、経験の豊富な先生まで一生懸命時間をかけてじっくりと選んでいる。美術展に思いをかける先生たちの熱さをとても感じた。

学美賞「騎馬戦」(金賢星、福岡初級3年)※学年はいずれも受賞当時のものです

  現場の審査員たちは子どもが感じて描いたもの以上のものを作品から見いだそうと必死になっている。1つの作品から語られる子どものさまざまな思いを汲み取ろうと取り組んでいる。作品を通して語りかける子どもたちの声を聞き漏らすまいとする教員たちの真摯な姿勢。審査員らの自分の作品に対する評価を子どもに伝える、自分の作品はこういうことも物語っていたんだ…と新たに発見し自信につながる。今、全国を巡回展示している美術展では、子どもたちが気に入った作品に対する感想文を作者に送るということが行われている。

 突然、自分が会ったこともない子から「◯◯さんの作品が良かったです」という感想とその理由が送られてくるので、子どもたちの間では地域や学年を超えた手紙のやりとりが始まる。絵を評価された子は、見ず知らずの人に自分の絵を気に入ってもらえたことがとても励みになる。作ることが楽しくてうれしくなるという、良い効果が生まれている。

 子どもたちと同じようなことが私たちにも起こっている。

 第三者(三谷先生や仲野先生)から評価されることによって、内々で行われていたことが客観的に評価され、自分たちがやってきたことが正しかった、こんなに力があったんだということを確認できたし、力が湧いてきた。

学美賞「シャチ」(姜康太、千葉初中・初級部3年)

 仲野 力をいただいたのはむしろ僕たちの方だとも思う。

 先の審査会を見学して、朝鮮大学校を去るときのことだ。

 最後に一言あいさつをと言われた。先生方のディスカッションを見ていたときに生徒たちに対する深い愛を感じたので、それを言おうかと一瞬ためらった。愛だなんてちょっとベタすぎるし、青臭いし、抽象的だし、すごくキレイごとにも聞こえかねないからだ。でもその場でそれだけのものをいただいたからそれを正直に伝えた。そうしたらすかさず大阪のある先生が「うれしい!」と瞬時に応えてくれた。それで僕は言ってよかったと思った。あの言葉は僕の大きな支えになった(笑)。

 僕には絵そのものを評価する力はない。むしろ、この絵が描かれた背景にどういう人が関わっていて、子どもたちは何を考えて何を表現したのか、日々の暮らしや生活の中やそこにいる先生と生徒たちにどんな相互作用や関係性があるのかということに大きな関心を寄せている。愛、ケア、思いやりなど、互いの深い関係性があってこその表現であるだろうと想像できた。

 僕は民族教育を取り巻くコミュニティーから一歩引いて、それに関わる人たちの関係性をも見ようとしている。それを言語化して伝えていることが朝鮮学校の先生方の刺激になっているようだ。僕の言葉が美術展のメーリングリストに流されると、会ったこともない先生からコメントがきたりと、先ほどの子どもたちの手紙のやりとりと同じようなやりとりが美術展に関わる大人たちの間でも行われている。僕の言葉が先生方の力になり、そして先生方の言葉が僕の力にもなっている。これはすごくおもしろいつながりだ。美術展はそういう信頼に基づくつながりを生み出す強いコミュニティーになっていると思う。

  昨年鳥取展をやったときの感想文を読んで感動した。これまで模索しながら手探りでやってきたことの意味というか、同胞たちはもちろん、こんなに大勢の日本の方に朝鮮学校の子どもの作品が感動を与えたことに喜びを感じた。今まで大変なこともあったがやってきてよかった、明らかにやるべき事だったと実感した。

 2回目の開催となった本展では、早くも「来年はどこでやりますか?」という話が出ている。本当に未来につながる展示会だと思う。美術展が三谷先生や仲野先生を通じて広く強い絆になっていくというのがわかる。

 仲野 その立ち上げのプロセスの中に私たちがいる。

金賞「もう一つの世界」(鄭和瑛、東京第1初中・中級部2年)

  美術展を見て感動したという人はいるが、自分たちでやろうとする人は三谷先生だけ(笑)。

 02年の拉致問題があって、朝鮮に関心を持つようになった人もいる。朝鮮と日本の歴史を知らない人も多くいる中、拉致問題以降の朝・日関係悪化による爪痕は今も残っている。

 当時、子どもたちは身の安全を守るため通学時に朝鮮語を使ってはいけない、制服は私服に、校門には24時間体制で警察が立っているという状況に置かれていた。そんな中でも子どもたちは無邪気に、笑顔で「おはようございます!」とあいさつをして、元気に学校に通っていた。

 昨年横浜に赴任したが、つい最近、ある初1の保護者がホームまで子どもたちを見送りに出た際に、男性から「こいつら朝鮮学校通ってる子たちだろ。突き落とされないように注意しろよ!」と暴言をはかれたという。いまだにこのようなことが日常的にある。

 「無償化」問題などことあるごとに朝鮮学校が注目される。屈託のない子どもの絵を見ると、年齢が上がるにつれいろいろ悩みも出てくるが、幼い子どもたちの絵には守られているという安心感が表れている。温かく見守ってくれる日本人がいるというのも支えになっている。

 三谷 これまで人権とか、差別とか、在日のコリアンの子どもと会って最初に取り組んできたのが歴史をきちんと教え、過去の事実を知るということだった。このことも本当に大切なのだが、しかしそれ以上に、同じ日常生活の中で在日を取り巻く状況を特別なこととして位置づけるのでなく、日常の中でどれだけ感じるものを共有できるかで分かり合えるのが一番だろうなという思いが一方にあった。

 特別ではなくて日常の中でたくさん共有できるものがあって、接する機会がどれだけあるかということで互いに理解を深めることができると思う。絵は見る側の感性で考え、感じるものなので、身近にそういうものがあれば、民族学校の子どもの感性を受け止めることが可能になる。

 鳥取というところはそういう機会に恵まれていない。日常とか生活に裏付けられるものを地元にもってこれたのは僕たちにとって良いことだ。朝鮮学校の先生たちに感謝している。

 仲野 どちらか一方が「認める」、他方が「認められる」という一方的な関係ではない、相互の信頼関係を創出する力がこの美術展にはある。たとえば、子どもたちが見守られている感覚を持って安心できるのはとても大切なこと。このような感覚を日本人の子どもたちはどれほど持っているだろうか。それは僕たちが逆に学ぶべき点だ。成先生は「日本人に関心をもってもらえて、向き合ってもらえて、ありがたい」とおっしゃるが、美術展に関わることによって多くを得るのはむしろ日本人側かもしれない。日本社会で弱くなってしまった絆が「そちら」にはあるので(笑)。

 自分がへこたれないでいられる支え、弱っても倒れないで済む関係性をもって本当は「自立」というはずなのに、日本では人に頼らないで自分の足で立っていなさいということをずっと良いことだと教えられてきた。そして、はたと気づいたら、自分を支えてくれる人は周りに誰もいない。そう思ったときに隣(朝鮮学校)の人を見ると、なんて強い絆があるんだ、この人たちには! という感覚に見舞われた。

  私たちは、われわれという意味の「ウリ」という言葉をよく使う。ウリナラ(私たちの国)、ウリハッキョ(私たちの学校)のウリ。これは特別な意味合いを持っている。私は、三谷先生や仲野先生の私たちへの接し方が「ウリ」を共有していると感じている。

 仲野 横浜の学校へ行ったとき、これが文字通りのウリハッキョだ!と思った。目の前にある、これが「ウリ」なんだと。それは別の言葉でいうと、家族、ホームだと思う。

 僕たち日本人側がみなさんに学べることをもう一つ挙げたい。たとえば差別やDVなんかの問題では、短期的には被害者の救済が大切だ。しかし、長期的に考えると本当にケアされるべきなのは加害者の方であると考えられる。なぜならば他人を傷つけてしまうのは自分が不安で仕方がない人たちだからだ。

 人が人を傷つけないようにするためには、コミュニティーの力が重要と思えてくる。民族学校には人を傷つけない、人を守り人を育てる力がある。そういう財産を僕たちは美術展を通して学ばせてもらっている。

 三谷 鳥取での美術展はとても意義のあることだからこれからも続けたい。朝鮮学校がない地域にも広く伝えたい。そして少しずつ見てくれる人を増やしたい。

 今の日朝関係の中で、ある面ではささくれだってしまうような状況を、子どもの絵を見るという行為の中で少しでも和らげられたら良いんじゃないかな。

 仲野 今回、鳥取展に一人の学生作家が来て自分の作品を解説してくれたが、本当ならもっとたくさんの作家に来てもらって、作品を語ってもらいたい。生身の身体をもって、肉声で人に伝える力はすごいから。

 三谷 今年の展示会では、一人の朝高生が来て、発信して、観客と折り合うような部分があった。これはとても意味深いところだ。先ほどの子ども同士の手紙のやり取りは、地元の学校の子どもの作品展でもやってみたい。

 自分と絵の関係とか、絵の持つ力、新しい発見、共感し、発信しあう手法は、民族学校の素晴らしさでもある。それを吸収できる日本の学校の子どもたちもきっといるはず。そういう思いを日本の教員の方もしっかり持っていかなくてはと思った。(まとめ=金潤順記者)

[朝鮮新報 2010.4.9]