若きアーティストたち(71) |
脚本/演出家 鄭光誠さん きっかけは朝鮮大学校1年生の時、演劇部へのゲスト出演だった。大学へは勉強を目的に進学したので、とりわけ興味は抱かなかったが、2年生で再び演劇部からオファーがあり、思い出作りにと出演。その3カ月後には演出を任された。「楽しかったし、周りから褒められたことがとてもうれしかった」と当時を振り返る。 勉強と演劇の評価で得る喜びは違ったという。たとえば、勉強は10点満点が限界だが、演劇は、点数では計れないと思うからだ。「演劇の世界は限りなく奥深い。模索し続ける、等身大の自分と向き合える、そんな中でやりがいを感じていった」と、ますますのめり込んだ。 その後、映画「パッチギ!」「フラガール」などの脚本家・羽原大介さんとの出会いを機に、2005年から彼の主宰する劇団「新宿芸能社」(09年「昭和芸能舎」に改名)に参加。 06年には、自身が主宰する『三文役者』(09年「CAP企画」にリニューアル)を旗揚げし、脚本、演出を手がけている。 もともと文学や物書きは好きで、10年以上日記を欠かさずつけているという鄭さん。最近は、もっぱら作演に夢中である。
「役者も楽しいが、作る方が自分に合ってると思う」。ゼロから、自分の心のままのカタチに作りあげていくという魅力に心を奪われたのだ。
そして、羽原さんの下で関連本を読み漁り、実際に書き、独学で技法を習得していった。 本格的に演劇に携わり5年目。今まで大小合わせ10余本の作品を手がけてきた。「人」「生きる」をテーマに、戦争や阪神・淡路大震災など史実を題材にし、人間の生き様にさまざまなカタチでアプローチしてきた。 「生きるとは何か」「人とはどんな生き物か」「人類はみな平等か」−「在日の自分にしかできない表現、見せ方があると思う」。鄭さん自身、民族差別やべっ視の中で生きてきたからこそ、その思いはより強い。 「1910年の『韓国併合』から始まり、いまだ朝・日間には、さまざまな隔たり、しがらみがある。しかし、こちら側の一方的な意見は押しつけたくない。双方の考えがどう折り合いをつけられるか。『人』は互いに歩み寄り、解り合わなければならないし、そうできるはず」 そんな思いから、配役は「在日」には日本人、日本人には「在日」の役を与えるという。そうすることで、役者たちは役作りのため、学び、互いの心情をわかろうとするという。
鄭さんは、舞台の中にリアリティーを追い求めている。「あくまでも舞台は作り物であり、多少の『嘘』、大げさなキャラ設定は必要。しかし、そのなかでいかにリアリティーを表現できるか。突拍子もない『嘘』は、観客も共感できないし、世界に入り込めないと思うから、筋の通る理屈はきちんと織り込まなければならない」と語る。
何よりも力になるのは、「良かった」という観客の一言。舞台を観て観客が何かを感じ、その反応から新たな発想が思い浮かぶ。そんな観客との「化学反応」を楽しみにしている。 日々、演劇と向き合い、「生きる」意味について考えを巡らすなかで、それは自分自身を知っていくことなのかなと思い始めたという。自己を見つめ直し、自身の立ち位置を再認識していく過程なのかと。 さらにいろんな角度、斬新なカタチで「人」「生きる」ことについて、訴えていきたいと意気軒昂に語る。 今後、4、6、9月と出演舞台を控えている。また、来年1月には「CAP企画」の公演を予定している。(姜裕香記者) ※1981年生まれ。東京朝鮮第9初級学校、東京朝鮮中高級学校、朝鮮大学校経営学部卒業。在日本朝鮮商工連合会を経て、05年劇団「新宿芸能社」(当時)に所属。06年劇団『三文役者』を旗揚げ(09年2月「CAP企画」にリニューアル)し、主宰、脚本、演出を手がけている。出演作に舞台「フラガール」「パッチギ!」など。脚本/演出作に舞台「パニ・パニ・パニック」など。 [朝鮮新報 2010.4.5] |