〈渡来文化 その美と造形 10〉 法隆寺金堂−四天王像 |
金堂の釈迦三尊像の須弥壇上の四隅に、日本最古の四天王像、持国天・増長天・広目天・多聞天が安置されている。四天王は、邪鬼を踏まえて武器などを手にした武人の姿で表現され、それぞれ東西南北全方向からの仏法守護神である。正面を向き、両腕を体にそわせて曲げ、邪鬼を踏みつけ、岩座に立つ。杏仁形の眼や直線的な衣文など、飛鳥彫刻様式表現である。 樟の一木造りで、彩色され、頭上に宝冠を戴いた姿で、宝冠や腕、臂釧、光背の縁などに金銅の透し彫り金具をつけ、彩色ときりがねで彩られている。 ただ広目天だけは、武器ではなく、巻物と筆を持つ。 4体ともに共通した直立不動の姿や、邪鬼の静かな表現など、動きの大きい後代の四天王像とは異なる造型が特徴的である。 広目天の光背には、製作者である山口大口費の名が刻まれていて、その名は「日本書紀」白雉元(650)年条に見え、製作年が確認できる。多聞天の光背にも薬師徳保の名が刻まれている。ともに、百済からの渡来人仏師である。 さらに、多聞天が左手に持つ戟(武器の一種)の先端から約30センチ下から玉虫の羽による装飾が発見された。広目天以外の3体はみな戟を手にしているから、それらにはすべて玉虫装飾が施されていたであろう。 これは、すでに紹介した「玉虫厨子」と共通する。 また、四天王光背の唐草文もやはり「玉虫厨子」のそれと同一である。 やはり百済なのか、との感を深くする。(朴鐘鳴 渡来遺跡研究会代表) [朝鮮新報 2010.3.29] |