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〈渡来文化 その美と造形 9〉 法隆寺−玉虫厨子

玉虫厨子(木造、漆塗り彩色は黄、緑、赤の三色、総高218.1センチ、宮殿部95.7センチ、須弥座部91.8センチ、7世紀中頃、国宝)

 「厨子」は、仏像や舎利、経典などを納める仏具で、室内に安置する。玉虫厨子は実在の寺院建築の概観を模したもので、古代日本建築を知る上でも重要な位置を占める。また、当時の金工、木・漆工の優れた技術を示すものである。

 仏像を納める宮殿部の長押、柱、框などには唐草文を透し彫りした精巧な金銅製金具がつけられ、その下に玉虫の翅鞘(硬い外側の羽)が貼られている。当初は四千枚程度あったと考えられ、今も見る角度によって緑青色に輝いてみえる部分が残る。

 厨子は、最下部の台脚、その上の須弥座(世界の中心にそびえるとされる山を描いている)、最上部の宮殿の三部分からなる。

 全面が漆塗りで、扉、羽目板などには朱、黄、緑の顔料で絵が描かれている。

 宮殿部は単層入母屋造で、正面と側面に扉をつけ、軒に雲形肘木を配し、屋根は錣葺きで、鴟尾をあげている。

 宮殿部正面の扉2枚に二天王像、左右側面4枚の扉に四菩薩像。背面に鷲頭山の舎利塔と羅漢が描かれている。内壁に金銅板打出し鍍金の押出し千体仏坐像が張りつけてある。

 須弥座は長い箱型の腰部と、上下それぞれの框に分かれる。上框は三重で単弁請花がその下を廻り、下框は同様の返花(蓮の花を裏返しにした文様)の下に二重の框座がおかれている。

 須弥座は四隅に柱を立てて板をはめ込み、その各部分に絵が描かれている。正面には舎利供養図、背面には須弥山図を、また、右側面には「捨身飼虎図」が、左側面には「施身聞偈図」が描かれている。いずれも釈迦の生前の物語から題材をとったものである。

 厨子の蓮弁部分に截金(金銀などを模様に沿って埋め込む技法)の痕跡が発見され、截金使用の最古の例とされる。このほかに色漆で忍冬文、龍頭、雲などが描かれている。

 法隆寺金堂に安置される四天王像のうち多聞天像(国宝)の持物の戟(武器の一種)の上部に玉虫の羽根が残っていた。これらの像には、百済出自の仏師の刻銘がある(次回に紹介する)。

 わが国での玉虫装飾例をあげてみる。慶州の金冠塚(5世紀中葉)からは青銅製鐙に玉虫の羽を貼りつけたものが出土しており、平壌の真坡里7号壁画古墳(6世紀)から出土した流麗な金銅透し彫り装飾品(王冠の一部か?)の流雲文の下に玉虫の羽が伏せてあった。

 玉虫の美しい羽で装飾する技法は、朝鮮との交流の中でまことに優美さを備えた厨子として実現した。(朴鐘鳴 渡来遺跡研究会代表、権仁燮 大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.3.23]