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〈渡来文化 その美と造形 8〉 法隆寺−救世観音

救世観音立像(樟の一木造、胡粉地金箔押、彩色、像高179.9センチ、木彫像では現存最古、7世紀中〜後半、国宝)

 夢殿に安置されたこの像は、飛鳥時代の代表的傑作とされる。秘仏として長い間密封されていたため損傷が少なく、当初の金箔や彩色の大部分がそのまま残っている。救世観音は乱世に現れて衆生を救うといわれる。

 「八頭身」の均整の取れた扁平な体で、真正面を向き、両足をやや開いて複弁式の台座上に立っている。

 頭に山形透し彫りの宝冠を戴き、面長な顔に、目は杏仁形で、鼻は大きく、小鼻はくっきりと刻線が入っている。人中は二本の線が深く刻まれ、唇は仰月形でかすかにほほ笑んでいるようにも見える。耳は長く耳たぶには耳穴が深く彫ってある。首には三道がはっきりと見える。

 髪は蕨手の形で両肩に垂れ下がる。両手は胸元に置き、火炎状の宝珠を乗せた蓮華を左手に捧げ持ち、右手はこれを覆うような表現である。

 天衣は両肩から左右対称に垂直に垂れながらヒレ状に張り出し、四段になって足もと近くまで伸び左右に広がる。天衣の下端を底辺とする二等辺三角形の中に像全体が収まる見事な構図である。

 横から見ると体躯が「く」の字形にくびれ、側面観にも配慮している。また、背面は両肩を覆う衣が肘の左右に突き出た衣文と、両肩から垂れる天衣の裳の中央で「U」字形になっている。簡潔ではあるが、見方によっては躍動感があるともいえる。

 1884(明治17)年、絶対秘仏として何重もの布で厳重に封印されていたものを岡倉天心とフェノロサがとり除いた。

 フェノロサはこのときの状況を感激をもって次のように記している。

 「二百年間用いざりし鎖鑰内に鳴りわたるときの余の快感は今に於いて忘れ難し。厨子の内には木綿を以て丁重に巻きたる物顕れ…。其の金箔は世代を経て黄褐色を為せり。頭首は驚嘆すべき漏空彫を施したる鍍金銅製の冠を以て装飾せられ、この冠より同じ鍍金したる銅にて朝鮮式作巧を加え、宝石を以て鏤めたる機条の長き瓔珞垂下せり」

 この像はたいへん厳粛感があり、美しさよりも、近づきがたい、しかし、祈れば「必ずかなえよう」と見つめているようである。

 朝鮮ではこの像と共通するものとして、平安南道平原郡元五里出土の塑造菩薩立像(6世紀後半)や、扶余軍守里寺址出土の金銅菩薩立像(6世紀)などがある。(朴鐘鳴 渡来遺跡研究会代表、権仁燮 大阪大学非常勤講師)

[朝鮮新報 2010.3.15]