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〈紀行〉 歌劇「エフゲニー・オネーギン」 平壌での上演に感嘆

 金正日総書記が、朝ロ両国の友好親善および協力に関する条約の締結10周年に際して駐朝ロシア大使や党と政府の要人たちとともに、歌劇「エフゲニー・オネーギン」を鑑賞したというニュースが伝えられた。

 いうまでもなくこの歌劇はロシア国民文学の父と称せられるプーシキンの韻文小説を、ロシア国民音楽を世界的水準にまで高めたチャイコフスキーがオペラ化した、スラブ的独自性を有しながらもイタリア・オペラを凌駕すると評価される程の名作である。

平壌で上演された歌劇「エフゲニー・オネーギン」 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 この歌劇が金日成主席の発案で初めて上演されたのは1958年のことであった。それが今回金正日総書記の指導によって、金元均名称平壌音楽大学が上演することになった。大学では、作家同盟の援助で、全3幕7場・2時間40分のこの作品のエッセンスを抽出して同じ3幕7場の1時間40分に再構成し、スタッフとキャストも学生中心で創作に取り組んだ。創作の過程では、自著「歌劇芸術について」にもとづいて「血の海(ピパダ)」式歌劇の創造を指導した金正日総書記が数次に及ぶ助言を行った。そして試演会にも臨んでスタッフと学生出演者を慰労し励ましている。

 歌劇の原作である「エフゲニー・オネーギン」は、19世紀の傑出した革命的デモクラットで文芸評論家のベリンスキーによって「ロシアの生活の百科全書」と評された名作である。主人公のオネーギンは18世紀20年代の典型的な貴族青年で、豊かな教養とすぐれた才能と良心を持ちながらも現実社会に背を向け社交界で無為に過ごすという複雑な性格の人間である。したがってその人物像をオペラで演じるのは至難のわざである。さらに地主貴族の令嬢でありながらもロシアの農民的土壌に育まれた純真な心の持ち主であるヒロインのタチヤーナの形象化も、並の演技力では不可能である。それにもかかわらず、公演を成功させたというのだから感嘆せざるをえない。

 学生の出演による歌劇を筆者は観ていないが、オネーギンとの無意味な決闘で死ぬレンスキーがテノールで歌うアリア、ソプラノの美しい旋律で恋心をうちあけるタチヤーナの手紙、華麗な舞踏会の曲ポロネーズなど、オペラの名場面が観客の感動を呼んだことは想像にかたくない。しかし、このたびこの歌劇が上演されたのは、名曲の数々もさることながら、ツアーリ(皇帝)専制の農奴制下にあってはいかにすぐれた人物といえどもそれを社会的に役立てることができずに埋もれてしまうという現実、汚れのない乙女の純愛もむくわれないという現実に対する批判というこの歌劇のモチーフは、社会主義文化が花開く朝鮮で暮らす人々にはどのように理解されたであろうか。

 日本のメディアは朝鮮に対して悪意にみちた中傷をくり返しているが、クラシックバレエの講座をも備えた平壌音楽大学で歌劇「エフゲニー・オネーギン」が学生たちによって上演され、平壌のみならず咸興などの地方都市でも好評を博したという事実をどのようにみるのであろうか。知りたいものである。

 報道によると、2012年までには文化・芸術の分野でも強盛大国の大門が開かれるという。筆者もこの言葉を信じて疑わないのである。(周在道・ロシア文学者)

[朝鮮新報 2010.3.8]