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〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第3回 夏目漱石(下)

「植民地」の存在 忘却へ追う

円覚寺山門(夏目漱石の小説に登場する鎌倉の円覚寺)

 「己みたような腰弁は殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓へ行って殺される方がいいんだよ」「伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ」−夏目漱石の小説「門」の宗助は、伊藤博文殺害の理由を詳しく語る代わりに、こんな風に妻お米に話す。「腰弁」(「腰弁当」の略、弁当を腰にぶら下げて出勤する安月給取りのこと)という平凡人としての自己確認は、伊藤殺害という歴史的事件から距離を置くことで成立している。「成効」という雑誌をすぐに伏せてしまう宗助は、もはや「成効(成功)」を夢見ることなく、わびしい平凡人として、暗い過去を隠し、世間から懸絶した夫婦生活と自我の内側へといっそう自ら閉じ塞いでいく。

 宗助と同じく国内での「成効」コースから外れた者たちが新天地を求め大陸へと渡っていた時代、「朝鮮の統監府」の「立派な役人」となった息子の仕送りで「気楽に暮して行かれる」隠居夫婦の話が出てくる。穴のあいた靴さえ買い替えられない宗助夫婦とのコントラストが妙なる伏線とも読めるのだが、お米を奪われ満州に渡った安井の影に怯え、あらかじめ大陸での再起や「成効」を自らに禁じながら苦悩する宗助にとって、植民地は遠ざけたい場所でこそあれ、いかなる形によっても直接対峙し関係していく対象とはなりえない。当時石川啄木が、閉塞する国内状況と朝鮮植民地支配とを重ね合わせる鋭い批判的認識を持ちえたのに対し、まさしくこうした宗主国の平凡人たちによって、植民地や被支配者の存在が忘却へと追いやられたことを、小説「門」ははからずも示している。

 ところで、近年ベストセラーとなった姜尚中著「悩む力」(集英社新書 2008)は、漱石文学の主題を悩み多き現代を生きる私たちに引きつけて読ませるうえで、一見よき案内書となっている。本書で著者は、陰鬱の中にもぬくもりのある「門」の宗助夫婦を好意的に取り上げてもいる。ところが、本書には「門」における朝鮮植民地支配の同時代性は少しも言及されていない。近代日本の植民地主義の構造を批判的に明かした、姜氏自身の過去の業績にもかかわらずだ。

 罪の意識から宗教に助けを求め、だがついに救いをえられなかった宗助は、「門の下で立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不孝な人であった」(「門」)。だが姜氏は立ちすくむこともなく、別の「門」を次々と軽やかにくぐっていっているかに見える。

「悩む力」(姜尚中著、集英社新書)

 「悩む力」の末尾で姜氏は「役者」への「変身願望」を披瀝しているが(氏の近年の政治的スタンスの変化やメディア露出からすれば十分な「変身」だと思うのだが)、そのナルシシズムはさておいても、「『731部隊』の血も涙もない軍人で、なおかつ家庭ではよき父親をやっているような偽善的悪人」を演じたいなどと軽々しく言ってのけられる氏の立ち位置はどこにあるのか。「血も涙もない軍人」に殺された側のことも、自らの暴力の忘却を容易ならしめた、閉じきった日本の「家庭」「社会」「国家」への批判も、ここにはまるで欠落している。

 とりわけ、「横着な態度」で朝鮮の指導者の「頭でもコツンと叩いてみせ」るとうそぶく著者に、「満韓ところどころ」で「朝鮮人の頭をこきんと張り附けて遣りたくなった」と書いた漱石の姿が否応なく重なって映り、不快を覚えた。

 日本を代表する作家夏目漱石は、「韓国併合」の年に何を悩み、また何を悩もうとしなかったのか。このことについて姜氏の「悩む力」は、何ら悩んでいないのである。漱石が悩もうとせず意識の遠くへ追いやった植民地の問題が、100年後の今日、ほかならぬ植民地支配の後裔たる在日朝鮮人によって「誤読」されるのは、はなはだ忍びない。(李英哲 朝鮮大学校外国語学部助教)

[朝鮮新報 2010.3.8]