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〈本の紹介〉 法然と秦氏−隠された渡来民の刻印

画期的、渡来のルーツ照射

 浄土宗の開祖・法然は、日本仏教の質的転換をもたらした宗教改革者であるといわれている。

 しかし、法然の果たした先駆的な役割や歴史的な功績に比べてその評価は低いのではないか。

 それはなぜなのか。

 本書はそうした疑問を解き明かそうとした宗教ジャーナリストである著者渾身の書である。

同族の信仰、象徴

 「法然上人行状絵図」(以下、「行状絵図」)に隠された驚くべき真実とは? 法然の知られざるルーツと、謎めく別所の聖集団、そして万人が平等に往生できるとする念仏信仰を法然が唱えた真の理由とは?

 著者は冒頭からズバッとその謎の核心に迫り、疑問を解き明かした。「行状絵図」には朝鮮半島から渡ってきた古代の渡来氏族・秦氏を暗示させる記述が少なくない、これはなぜか。「人間の実存に迫るには、人格・思想形成の背景となる出自や所属する地域と所属集団の属性、幼少期や青年期の体験などが重要な要因となる」と考えた著者は、「行状絵図」にそうした要因が意識的に盛り込まれたのではないかと指摘する。

 それは、来年法然上人800年遠忌をひかえながら、法然の出自さえ明確にできない日本の歴史研究の闇の深さでもあろう。

 法然は、美作国(現在の岡山県北部地方)久米の南条稲岡庄で父漆間時国と母秦氏の間に生を受けた。漆間氏は、もともと香春岳で氏族の鍛冶信仰を司った辛島氏にさかのぼる。辛島氏は豊前国(現在の福岡県東部と大分県北部)に根を下ろした秦氏の一族であり、製鉄・製銅の鍛冶技術を担った職能集団が信仰する鍛治神を祭祀したシャーマン氏族であった。香春岳の鍛治神を宇佐に移し、その後、宇佐八幡宮の禰宜を代々務めたのである。後に宇佐八幡宮は大和朝廷の支配下に組み入れられ、日本の神となっても、いわば秦氏という同族の信仰、文化の象徴であった。

 本書では法然が出自とした秦氏の慣習・信仰・文化や、秦氏が職能の民として担った社会的役割について、法然の思想形成と関わってさまざまな角度から論じられている。さらに法然が少年期以降、過した生活環境と人間関係である聖たちの集団、彼らが信仰や宗教活動、生活の根拠とした別所という空間についても、朝鮮半島との色濃い関わりを照射してやまない。まさに、日本の宗教史にとっても画期的な書の出現であろう。

根強い「単一民族」説

 歴史学者の上田正昭・京都大学名誉教授はかつてこう語ったことがある。

 「日本民族を単一民族とみなす素朴な受けとめ方は、いまもなお日本の政治家、官僚のみならず、多くの人々の中に根強く生き残っているが、そうした曲解は、1910年代から日本の学界の中で提起され続けてきた。複合民族説にかんする研究史をかえりみない俗説であり、実証的な歴史学や考古学、人類学などの研究成果を無視した、ゆがめられた見方や考え方であるといわざるをえない」と。

 本書で朝鮮半島からの渡来集団・秦氏と法然の関わりを明らかにした著者は、「無謀なチャレンジができるのは、私が実証的な研究姿勢を崩せない研究者の立場ではなく、自由に思いをめぐらすことのできる宗教ジャーナリストとしての立場にあるからである」と謙虚に述べている。かつて、朝鮮半島と日本古代史との深い結びつきに切り込んで、多くの名著を遺した作家・松本清張の手法をほうふつさせる。日本の歴史学界は清張のぼう大な仕事をことさら無視してきたが、今ではその卓越した業績を否定する人はいない。その意味でも本書はセンセーションを巻き起こすのではないだろうか。(山田繁夫著、学研パブリッシング、1800円+税、TEL03・6431・1201)(粉)

[朝鮮新報 2010.3.5]