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〈徐千夏先生の保健だより-2月-〉 滋賀朝鮮初級学校の取り組み

めざそう! 「まぁまぁ、そこそこのオモニ」

自由にのびのびと

 先日、講演の依頼があり滋賀朝鮮初級学校へ行ってきました。JR京都駅より3駅先の膳所という場所にありました。途中、琵琶湖がかすかに見えて所要時間もさほど遠く感じる距離ではなかったように思います。

 築20年の校舎はとてもきれいで整理整頓されていて、広々としていました。もとは初中級学校でしたが、中級部は休校となり、京都中高まで通っているそうです。

 今は幼稚班・初級部だけで在籍数37人という小さな学校ですが、子どもたちを見ていると、ダイナミックで自由にのびのびと過ごしているように感じました。

 学校の周辺には緑がいっぱいで、教員室の窓は大きいガラス張り…。運動場で子どもたちが遊ぶ様子がはっきり見える、とてもステキな間取りです。何だかどこにいても子どもたちを見守れる、そんな雰囲気でした。

 子どもたちが大半を過ごす教室の片隅には、マットや朝鮮将棋板が敷いてあったりするので、休み時間はそこでゴロゴロしながら本を読んでみたり…。図書室は週2回のお昼休みに開放され、子どもたちの憩いの場になっているそうです。何だか保健室のようでした。

ひとり立ちをうながす

 そんな滋賀のハッキョも試行錯誤を繰り返したそうです。少人数の中で育ったあと、中高級部に進むとつまずくのではないだろうか? もまれた経験がないので、壁にぶち当たった時にどう対処しているのだろうか…。「これではいかん!」と考えた教員たちは、子どものために良いと思うこと、いけないと思うことを正直に保護者へ伝えようと努力したそうです。「忘れ物をしたら学校へ届ける、お昼にお弁当を届けるなどは許可 しない。学芸会では親の楽屋出入り禁止、ビデオ撮影の停止線を守るように」などと。

 とくにオモニ教員を筆頭に父母たちと話し合っていったそうです。

 事例を一つあげると、忘れ物をしないのはいいことだけれど、自分が忘れると困るんだという経験をすることが大事ですよね。そういう苦い体験があるからこそ、次は忘れまいと気をつけるようになるのではないでしょうか。そんな体験がない場合、困ったときは親がやってくれるだろうと、依存的な子どもになってしまうのではないでしょうか?

 幼少期より、いろんな障がいを親が取り除いてくれて平坦に育ってきたのに、思春期に入るやいなや「もう自分でできるでしょ?」「うちの子はいつになったらしっかりしてくれるの?」と急に放り出すのも親です。子どもはとまどってしまいますよね。

肩の力を抜いて

 自立を望むなら、まずは一緒に歩いて一人で立つ方法を教えてあげることから始めてみませんか? 親が自分でやった方が早いのですが、子どもが自分でできた「達成感」を味わう経験をすることにより、自信を持ちひとり立ちしていけるのではないでしょうか。

 このように教員と保護者が、「共育」「協育」できる関係が子どもたちを自由に伸び伸び羽ばたかせたのでしょうね。今では滋賀初級出身の子どもたちは中高級部でも大活躍をしているそうです。

 子どもを育てる環境というのは親を中心とした周囲の大人がどう関わっていくかが大事だと思います。思春期に突入すると親よりも先生や友だちからの評価を気にするようになっていきます。親の言うことも聞かなくなるかもしれません。

 そんな時は上手に先生の力を借りましょう。

 ウリハッキョの先生方はどこを見てもとても情熱的な方たちばかりです。本当に子どもを愛していて、真剣に取り組んでいらっしゃいます。

 もっとウリハッキョの長所や、若いやる気のある教員を信頼して任せてみませんか?

 子育ては一人でするものでもなければ、その過程は親の通信簿でもありません。肩の力を抜いてもっとリラックスしてみませんか?

 グッドなママじゃなくて「グッド・イナフ・マザー(まぁまぁ、そこそこのお母さん)」をめざしてみませんか?

[朝鮮新報 2010.2.23]