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〈渡来文化 その美と造形 5〉 法隆寺 献納小金銅仏

 これらの仏像はすべて50センチ未満の小像で、1878年、法隆寺から天皇家に献納され、1945年の敗戦後国有となり東京国立博物館に収蔵、展示されている。57躯ある。

 7〜8世紀にかけての制作で、日本の彫刻史上きわめて貴重な存在である。

 法隆寺金堂の釈迦三尊像は止利仏師の手になるもので、その特徴をもつ諸像は「止利様式」といわれ(第3回の記事参照)、日本美術の白眉でもある。

 この「止利様式」のモデルになったと思われる朝鮮からの渡来仏が献納小金銅仏のなかにある。

 日本の美術史家の言。

 「このうち一体(143号−1−1・分類番号・筆者)は一光三尊形式の像(如来三尊像=筆者)で非常にすぐれたつくりである。しかも、この本尊の台座部に注目すると、台座は車輪型になっており、十文字になった真中に穴があいている。そこに本尊を差し込むようになっているのである。こうした作例は日本にはなく、衣服も大衣のつけ方など理にかなったものである。また脇侍菩薩像を見ると、偏平なつくりで背面はまったく省略されているなど、法隆寺金堂の釈迦三尊像の脇侍菩薩像と共通している。

 また他の一体(151号)は如来立像で背面に型持の痕を刳った窓型の穴があいており、元来は別の銅板で蓋がされていたが、とれてしまい…。その面相はきわめて朝鮮的で作風ものびのびとしており、まず古朝鮮からの渡来仏と考えられる。

 もう一体(158号)は金色の発色がすこぶる良好な半跏思惟像で、当時の朝鮮の鍍金技術は、日本より優れていたことを思わせる遺品である(久野健「飛鳥 白鳳 天平仏」、法蔵館、昭和59年1月)。この文章での「古朝鮮」は百済のことである。

 もう一点あげる。辛亥年(651年)銘観菩薩立像(165号2−7)で止利様式にも近いが、百済の瑞山磨崖仏中の菩薩立像に類し、とくに1957年扶余の窺岩面新里出土の小金銅仏とは細部にいたるまで共通していて百済の影響が大変深い。(朴鐘鳴 渡来遺跡研究会代表)

[朝鮮新報 2010.2.15]