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同胞愛の結晶、好評上映中の映画「東海の歌」 監督、出演者、独占インタビュー

 【平壌発=李泰鎬記者】朝鮮の各地で上映中の映画「東海の歌」(2部構成)に人民が涙している。総連の韓徳銖前議長を主人公に祖国解放から帰国事業までの在日朝鮮人運動を描いた。観客は総連と在日同胞の血と汗がにじんだ歴史を知り感動している。国内で制作されたこの映画は同胞愛の結晶であると関係者は語る。在日同胞に関する映画だということで制作過程で多くの人の協力があったという。監督(演出)のチャン・ヨンボクさん(66)と主人公の韓議長役を務めた主演のキム・チョルさん(54)に話を聞いた。

「人民の協力で作られた」 監督 チャン・ヨンボク

−観客の反響が大きいようだ

 40年間、映画に携わってきたが、これほど反響が大きいのは初めてだ。「感動した」「涙が止まらなかった」「当時をよく再現した」「総連の歴史をよく知ることができた」と、あらゆる賛辞を受けた。とても驚いている。

なぜそうした反響を呼んだのか。

 「総連は金日成主席の遺産」という言葉の真意が伝わったようだ。人民は、総連や朝鮮学校の成り立ち、在日同胞と祖国のつながり、教育援助費と奨学金が在日同胞の子どもたちに送られるようになった経緯などについて、学校の授業や新聞などを通じて耳にしただけで、具体的なイメージがなかった。映画を通じて史実を知ることとなり、それが心に響いたようだ。

制作にあたって一番力を入れた部分は。

 当時の在日同胞社会を再現することに力を注いだが、それが最も難しい部分でもあった。過去に2度、在日同胞をモデルにした映画の制作が途中で中止された理由もここにあったようだ。

 映画関係者のあいだでは長年の課題として残っていた。

 まず、一般市民の中から在日同胞のイメージに近い人物を探し出した。そして、歴史資料や当時の写真、映像を何度も見て衣装、小道具、風景、建物を研究した。

 一つのシーンを撮影するのに5、6回着替えさせて取り直したこともあった。

−作品の出来に満足しているか。

 日本で撮影できないという制約の中でも何とか完成にこぎつけることができた。芸術的な面で課題が残っているのは否めないが、関係者の思いは十分込められた。国と人民、そして総連が制作を後押ししてくれたおかげだ。

−具体的にどんな協力があったのか。

2万人のエキストラを動員した映画のワンシーン(朝鮮芸術映画撮影所提供)

 映画は1940年代、50年代を描いている。当時の雰囲気をだすため、平壌、羅先、新義州、海州と移動しながら、イメージに合った建物や風景を探し撮影した。その過程で多くの人が協力してくれた。

 羅先市では2万人の群集を動員した。映画のクライマックス、帰国船が出港する重要な場面を一日で撮影できたのは、人々の全面的な協力と創意工夫があったからだ。市民は自宅や職場から撮影に使えそうな衣装や道具を持参して現場に駆けつけてくれた。埠頭と帰国船を結ぶ紙テープは、撮影が一度で終わらないことを打算し、撮影途中で切れないようにビニールのテープを用意してくれた。そして、本当に自分の家族を見送るかのような熱気を見せてくれた。

 それ以外の地方都市でもエキストラや小道具、衣装をしっかり手配してくれた。例えば、エキストラが映画の雰囲気とかけ離れた衣装で現れ、関係者を落胆させたことがあったが、その旨を伝えると地元の人がすぐに駆け回って、数時間後には要求したものすべてを用意してくれた。解体が予定されていた建物内部での撮影のために、解体作業を延期してもらったこともあった。

 真夏の地下室での撮影では、機材の熱などで室内が47度を超えたこともあった。撮影が深夜にまで及ぶこともあった。それでも出演者や関係者は何も言わず応じてくれた。

−なぜそうした協力があったのか。

 主人公のモデルとなった韓徳銖前議長は、金日成主席に愛され、朝鮮でも尊敬されている。ただ国内では、具体的な業績や生涯についてよく知る人は多くない。「なぜ主席の寵愛を受けたのか」、人民はそこに関心を持った。そして、昨年が在日同胞の帰国実現50周年だったことも重要なきっかけとなった。関係者の間でも50周年を迎える2009年12月までに作品を何としても完成させようという機運が盛り上がった。総連と在日同胞の歴史、主席の業績を後世に伝えようという使命感も芽生えた。

−映画を完成させた感想を。

 私自身、映画を撮影する過程で、主席だけを信じ在日同胞のために身を捧げた韓徳銖前議長の業績に、驚き感服した。出演者や撮影の協力者たちも、一つひとつのシーンを通じて自分なりの「韓議長像」を作り上げていったようだ。「総連の活動家や在日同胞がこれほどまでに苦労して組織や学校を守ってきたとは想像もしなかった」「総連の歴史にこれほどまでに深い主席の同胞愛、民族愛があったとは知らなかった」としきりに感動していた。

−在日同胞に一言。

 主席は異国の地でさまよう在日同胞の進むべき道を示し、すべての同胞を温かく見守り、激励した。韓徳銖前議長をはじめとする総連の活動家は、その主席の愛と思想に魅了され愛国・愛族の正しい道を歩むようになった。総連と在日同胞にとって今は試練の時だが、映画に登場する1世同胞の姿、在日同胞を一つにまとめようとたたかった活動家たちの姿から難局を乗り越える力を得てほしい。とくに総連活動家たちに映画を見てもらいたい。

「活動家の精神宿った」 主演俳優 キム・チョル

−韓徳銖議長になりきる努力について。

 口やあご、額に特殊メイクを施し、前髪も剃った。写真や新聞、映像、録音を何度も見聞きし研究した。

 とくに演説の録音を自宅に持ち帰って繰り返し聞いた。映画の封切から数日後、あるレストランで「韓議長」と呼ばれたことがあった。

 無意識に「はい」と即答してしまい、笑われたことがあった。撮影の数カ月間は「韓議長一色」に染まった。それが抜け切れていなかったようだ。

−思い通り演じられたか。

 91、95年に日本を訪問した当時、韓徳銖議長と面会した。それをよく思い出した。 同胞に接するときの人情味あふれるイメージと、主席の思想を具現するにあたっては一歩も譲ることのない激情的なイメージを両立させることに苦労した。韓議長をよく知る同胞たちが私の演技を見てどう思うか、在日同胞の愛国心をうまく表現できたか、とても気になる。

−不安を抱えながらの撮影だったと聞いたが。

 最初のころは、とくにそうだった。自分の不安が関係者に悪影響を及ぼしていることもわかっていた。だが、撮影に協力してくれた人民と総連関係者、貴重な歴史的証言をしてくれた帰国公民たちが力を与えてくれた。帰国実現から50周年を迎えた昨年中に何としでも映画を完成させようという決意、俳優としてのプライドが強くなっていった。

 一番励まされたのはある総連顧問の言葉だった。

 「似ているからといって良い映画になるわけではない。気持ちが大切だ」と。この映画の演技では精神や思想が基本だと肝に銘じた。日本で朝鮮学校を訪問した際、朝鮮語や朝鮮の歌が聞こえてきて感激したときの喜びを何度も思い出し、総連活動家の精神を体現しようと努力した。

−印象に残る撮影現場は。

 クライマックスのシーン、羅先埠頭での撮影だ。2万人のエキストラに囲まれて演じたのだが、彼らは本当に帰国船を見送るかのような感動的な雰囲気をつくりあげてくれた。そのおかげで私自身、帰国を喜ぶ気持ちで演じることができた。

 また、在日同胞が帰国する喜びをうまく再現するには、その対極となる部分、日本で抑圧され弾圧され怒り、悲しみに暮れる姿をリアルに描かなければならなかった。トンネル工事現場で竹の棒で打たれるシーンがある。撮影では棒で打つ役の俳優が怖がって力を入れられないでいた。監督は「思いっきり打て」と俳優を奮い立たせてリアルなシーンを演出した。その時のあざが今も残っている。

 熱を込めて台詞を述べるあまり、口に詰めたものが飛び出し、真面目なシーンを笑いに変えてしまったことも思い出として残っている。

−撮影を振り返ってあらためて思うことは。

 韓徳銖議長の役を演じることができて光栄だ。総連と在日同胞を取りまく情勢が厳しいと聞くが、1世の愛国心を受け継いで必ず困難を乗り越えてくれると信じている。映画がそのための力になればうれしい。

[朝鮮新報 2010.2.12]