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〈本の紹介〉 朝鮮文学の知性 金起林

民族的良心を灯して

 本書の「はじめに」のなかで著者は、金起林は日本ではほとんど知られていないと書いている。実は筆者もまたこの詩人については、金素雲訳の「朝鮮詩集」で「蝶と海」など6編の詩を読んだことで名前を知っている程度であった。しかし本書を熟読して起林が朝鮮文学史に刻み込んだ業績を知ることができた。

 プロレタリア文学と一線を画しながらも、麦秀の嘆をかこつ起林が、アジア侵略に象徴される近代日本を、深奥なメタファーをもって鋭く批判したことを、著者は二編の詩「詩論」と「屋上廃園」を分析して明確にしている。のみならず、ルポ「間島紀行」の行間から起林の「日本侵略に対する怒り」を読みとり、彼が「1942年5月の時点で…『日本の敗戦』を確信していたに違いない」と断言している。この一行は起林の言動と文学に裏づけされているために、単なる推論ではない真実の響きがある。

 著者は綿密な考証にもとづいて、起林の「作品目録には日本語で書かれたものがない」と確信して、この事実を本書のテーマに定めている。さらに、30年代のカップ解散以後日本語による親日文学が跳梁する状況のもとで、「朝鮮文人報国会」などいっさいの御用文学団体に加入しなかった起林が、純粋文学の砦を守ってレジスタンスの姿勢を持したことを言外に強調している。本書から得た筆者の収穫の一つは、解放前の起林が、友誼を交わした李陸史とは別のスタンスで暗黒の時代に民族的良心の灯をともしつづけた事実を知りえたことである。

 解放後の起林が、呂運亨の主導する朝鮮人民共和国を支持する詩「幼い共和国」や米軍政に批判的な詩「アメリカ」などを書き、日帝残滓の清算と民族文学の建設を目ざす朝鮮文学家同盟の中央執行委員となったことは、30年代から8.15にいたるまでの彼の文学的営為からすれば、当然のことだと首肯できる。米軍政下で起林が、アンガージュマンの詩「新しい国賛歌」「一本の旗を仰いで」「再び八月に」などを発表した事実は、李承晩一派の単独選挙に反対の立場をとったことと無関係ではない。

 解放直後の南の政治的情勢の理解と起林の越北については著者と考えが異なるが、ある意味では埋れていたといえなくもないこの詩人を解放を希求する時代の「朝鮮文学の知性」として際立たせた著者の鋭敏で豊穣な文学理念と、時代的背景との関係におけるシャープな作品分析から多くを学んだのを多としたい。

 本書は、暗黒の時代のなかから珠玉のような起林文学を見出したという意味において、高く評価されるべき一冊だということができる。(青柳優子 編訳・著、新幹社、2400円+税、TEL03・5689・4070)(卞宰洙 文芸評論家)

[朝鮮新報 2010.2.5]