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〈歴史×状況×言葉 朝鮮植民地支配100年と日本文学〉 第1回 石川啄木

「時代閉塞の現状」

時代閉塞の現状を奈何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな

地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く

石川啄木歌文集(講談社文芸文庫より)

 石川啄木(1886〜1912、歌人、詩人、小説家、評論家)は、1910年「韓国併合条約」締結直後に、「九月の夜の不平」と題した和歌三十四首を読んだ。冒頭にあげた二首はその時代認識を最もよく示している。朝鮮植民地化に対する啄木の異議は、明治末期の「時代閉塞」と呼んだ社会思想状況への批判とともにある。

 その炯眼は、日本の朝鮮植民地支配と、日露戦争後急速に反動化していく国内状況とが不可分であることを見抜いていた。すなわち国家の強権が幸徳秋水ら社会主義者らを大弾圧した「大逆事件」を頂点とし、天皇制絶対主義が飛躍的に強化されていく時代、朝鮮の植民地化は、朝鮮のみならず日本の将来にとっても不幸であることを啄木は認識していた。そして彼の言葉は、100年後の日本社会を覆う閉塞感と朝鮮問題との関係までをも射抜いている。

 大逆事件に出会い書いた評論「時代閉塞の現状」で啄木は述べた。

 「我々青年を囲繞する空気は、今やもうすこしも流動しなくなった。強権の勢力は普く国内に行わたっている。現代社会組織はその隅々まで発達している」

 ひるがえって、今日を眺めるときナショナルな国民再統合と新自由主義の専横のなか、「反戦平和」「民主主義」といった戦後的価値はもろくも自壊していき、なし崩し的な憲法改悪、教育の反動化、格差と貧困の拡大など、まさしく閉塞感が募るなかにあって、「我々日本の青年は未だ嘗て彼の強権に対して何等の確執をも醸した事が無い」という100年前の啄木の言葉はいっそう重い。

 青年たちが国家を敵として認識しえず、国家の強権に対する彼らの無関心と没交渉の態度こそが、ますます国家へと自らを服従させ、結果、強権をさらに強化させてしまうということを啄木は述べたのである。

 「…すべて今日の我々青年がもっている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態をきわめて明瞭に語っている。−そうしてこれはじつに『時代閉塞』の結果なのである」

 昨年11月、人気歌手グループのEXILEが天皇即位20周年の「奉祝曲」を歌ったのには失笑を禁じえなかったが(「EXILE=国外追放、亡命」なるグループ名はただちに変更するがよい)、「平成」の青年らが支配権力へと巧妙に、従順に取り込まれていくさまには、失笑では済まされぬうすら寒さを覚える。

 「韓国併合」を寿ぐ日本国民を眺め「邦人の顔たへがたくいやしげに目にうつる」と詠んだ啄木の眼には、今日の日本の姿はいかに映るだろう。ふと、「在特会」のようなレイシスト集団の「たへがたくいやしげ」な顔つきが浮かぶ。ネット映像では朝鮮学校への「襲撃」前日、楽しみで眠れなかったという「在特会」メンバーの言葉が流れていた。いじめる側にとってイジメとは、自分たちの不満や鬱憤を爆発させる「楽しい」イベントなのだ。そのような暴力の「祝祭性」は、啄木が描いた「何か面白い事は無いか」(「硝子窓」1910年6月)と苛立っている明治の青年、その鬱屈する姿の裏返しとして、まるで合わせ鏡のように重なり映って見えてくる。

 「明日の考察! これ実に我々が今日に於て為すべき唯一である、そうして又総てである」−「韓国併合」から100年。朝鮮と日本の今日、そして明日には、いかなる言葉を響かせるべきだろう。本連載を通じ、出口なしの閉じ塞がれた日本社会の現状に「啄木鳥」のように風穴を穿ち、「明日の考察」へと促す時代の言葉を、日本文学の中から拾っていきたい。(李英哲 朝鮮大学校外国語学部助教)

[朝鮮新報 2010.2.1]