〈渡来文化 その美と造形 3〉 法隆寺 釈迦如来三尊像 |
日本最古の木造建築で知られる法隆寺金堂に「釈迦如来三尊像」がある。聖徳太子の冥福を祈るため623(推古31)年に止利仏師に造らせた、ろう型鋳造による金銅仏である。 この像は、仏教が日本に伝来して初めて作られた仏像の一つで、百済から渡来した鞍作司馬達等の孫の鞍作止利が製作したものである。この像の光背の銘文の最後に「…鞍首止利仏師造る」と、その名前が刻まれている。 中央に釈迦如来(中尊)、左右に脇侍菩薩を配した一光三尊仏で、大きな光背を背景として三角形の構成の中に形よく納められている。 中尊は、身体に比べて顔が長く大きい。面長で杏仁型の目、アルカイックスマイルと呼ばれる微笑をたたえたような仰月形の唇、大きく高い鼻、深い人中(鼻と上唇の間にあるくぼみ)、肩まで届く耳たぶ、蕨手紋様のように肩まで垂れ下がる髪、胸元を広く開けた衣(天衣)はひざの辺りで交差し、背中ではU字型に垂れ下がる。 また、背面の衣文がほとんど省略され、側面や正面のみを強調する。正面は、台座から大きく垂れた裳懸に、体の両外側を衣が魚のヒレのように伸び、その扁平なヒダは緩やかな階段状になり、衣紋は左右対照になっている。側面は、裳懸を弓形に大きく前面に反らせ、やや扁平で、正面観が強調されている。造型が硬いことから厳粛感を漂わせる。 両脇侍は背面を全く省略しているが、天衣を背中から両肩にかけて前にたらしてひざあたりで交差させ、その先端を左右に強く張り出し立体感を与えている。 このような表現形式は「止利様式」と呼ばれ、日本の飛鳥文化のシンボル的造型となった。 朝鮮では、@一光三尊仏様式の仏像は黄海道谷山で発見された「辛卯(571)」年銘の金銅阿弥陀仏や、A延嘉7(539)年銘の像、江原道春川出土の像(高句麗)、B百済扶余・軍守里廃寺出土の金銅菩薩像、C扶余近郊の瑞山磨崖仏の服制など、これらが仏像様式とともに、その特徴を法隆寺のこの仏像と共有している。(朴鐘鳴 渡来遺跡文化研究会代表、権仁燮 朝・日関係史専攻) [朝鮮新報 2010.2.1] |