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東京・中野 「李福順さんの話を聞く会」 朝鮮女性の半生を学ぶ

朝鮮植民地支配から100年

植民地時代から現在にいたる自身の体験を語る李福順さん

 東京・中野区の中野サンプラザで16日、「李福順さんの話を聞く会」(主催=東京日朝女性のつどい)が開かれた。

 集会には、主催団体代表の重藤都さん、在日本朝鮮民主女性同盟東京都本部・金順徳委員長、同中杉支部・金京子委員長、日本女性と同胞女性ら31人が参加した。

 重藤さんは、集会のきっかけとなったのは金順徳委員長の紹介で読んだ書籍「生涯現役」(同時代社刊、朝鮮新報女性欄の連載をまとめたもの)に載っていた在日朝鮮女性の人生を知ったことと話し、「韓国併合100年に当たる年に、その時代を生きた女性の声を通して彼女が生活の中で体験したものを体得したいと思い集いを企画した」と述べた。そして、これを契機に「今後はシリーズとしていろんな企画を行っていきたい」と語った。

 李福順さん(84、中野区在住)は、慶尚北道奉化郡で幼少期を送った。当時、家父長制の下、庶民階級の女子には学問の世界は開かれておらず、李さんは13歳のとき新聞紙に文字を書きながら独学で字を覚えた。「昔、朝鮮の田舎ではひとつの村に文字を読める人が1人か2人しかいなかった。人々は本を読める人の所へ集まって話を聞くのを楽しみにしていた」。李さんは13〜15歳の頃、「チャンキ伝」「キムジノク伝」「オリョン伝」などの古典小説を丁寧に紙に書き写した。それらの長編小説は今も大切に保管されている。

 16歳で家族と共に日本へ渡り、その後は靴下工場で働いた。19歳のとき東京・渋谷の仕立て屋で働いていた同胞男性と結婚するが、「根がつくと兵隊に連れて行かれる」危険があったため、頻繁に引っ越した。長男を出産した翌年に疎開先の福島県郡山で解放を迎えた。

 夫は遊技業で成功し、同胞たちとともに福島朝鮮初中級学校、総連福島県本部、朝鮮信用組合設立に励んだ。李さんも女性同盟福島県本部の設立に力を注ぎ、初代委員長に就任した。90年代半ば、水害が朝鮮を襲った際には積極的な支援活動を行った。5男2女に恵まれ、孫が21人、曽孫は6人になるという。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2010.1.22]