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平壌民俗公園の建設地で高句麗の膽星台遺跡を発掘

 高句麗時期に天文観測を行っていた膽星台の遺跡が、大城山一帯に建設中の平壌民俗公園の敷地で発掘された。金日成総合大学の学者たちが発掘を行った。

 国内の考古学者と建築士の研究によると、今回発掘された建築址は高句麗が首都を平壌の大城山一帯に定めていた時期(427〜586年)に築造して利用した膽星台(空の日と月、星を観測して一定の祭事も行っていた場所)の遺跡だ。

 朝鮮の歴史書である「三国史記」高句麗本紀には、平壌での太陽、日食、彗星、流星、行星をはじめとする天文観測資料が記録されている。

 新羅の慶州膽星台、高麗の開城満月台の膽星台、朝鮮王朝期の膽星台もすべて王宮の西方に位置している。今回に発掘された遺跡も安鶴宮址の西方に位置している。

 朝鮮半島には各時代ごとの膽星台遺跡があるが、今回のように高句麗時期の膽星台遺跡が発見されたのは初めてだ。

 遺跡は大城山蘇文峰・南麓の安鶴宮址の西門から西方へ約250メートル離れた場所に位置している。

 遺跡付近では高句麗時代の石室古墳が複数発掘されており、その周辺で赤色瓦をはじめとする同時代の遺物も多く出土された。

 遺跡は大きく、石と石灰を固めて積み上げた四角形の中心施設と、その外郭を囲む7角形の補助施設で成り立っている。

 中心施設の周囲は石と灰を混ぜた礎が厚く積み上げられており、その中心部分は炭と砂利、灰を交互に敷いて積み上げた特殊な構造になっている。

 遺跡の総敷地面積は約380u、7角形の石施設は一辺の長さが9.1〜9.2メートルほど、直径は約20.6メートルだ。

 四角形施設の上面南北の長さは約7.5メートルで、東西の幅は約6.7メートル、下部の基礎部分の南北の長さは7.2メートル、東西の長さは6.7メートル、幅は2.1メートルだ。

 炭と砂利、灰を交互に敷いて積み上げた中心部分で、炭層が敷かれている部分の面積は10.24u、東西の長さは3.2メートル、南北の長さは3.2メートルだ。

 7角形石施設の南方の面の中心点と、北方の頂点を連結する直線を基準にして方向を判定した結果、磁北基準動向14度、真北基準動向6.5度にかたよっている。

壁画古墳も

 同敷地内で高句麗時期の壁画古墳も発掘された。

 壁画古墳は大城山の麓にある安鶴宮址の西方の丘に位置している。羨道と玄室からなる平面正方形の石室古墳だ。

 壁画墓間の床は石灰と石を混ぜて基礎づけを施し、その上に炭を広げた後に平らな板石を一様に置いて粥塗装がなされている。

 壁体は玄武岩で築造されている。

 玄室は南北の長さ3.1メートル、東西の長さ3.05メートル、残っている壁体の高さは1.6メートルほどで、羨道は長さ3.05メートル、幅1.35メートルほどだ。

 古墳壁画は大部分が消えているが、赤褐色で描かれた建物の柱と帯部分、青色の蓮花模様、黒色の水滴模様など一部の図は残っている。

 壁画墓では斧の刃型をした鉄やじり1個、鉄管釘1個、黒灰色壺片が発掘された。

 着工後に民俗公園の建設現場では異なる時期の遺物が多く出土されたが、壁画古墳が出たのは今回が初めてだ。

 社会科学院考古学研究所のソン・スホ所長によると、今回の発掘は高句麗に関する歴史研究をよりいっそう深めるうえで重要な学術的価値を持つ。【平壌支局】

[朝鮮新報 2010.1.20]