top_rogo.gif (16396 bytes)

〈シリーズ・「韓国併合」100年 日本の朝鮮侵略思想を告発 琴秉洞先生に学ぶ−上〉 真の朝・日友好を求めて

 今年は、日本が「朝鮮人民から祖国を奪った韓国併合」100年の年である。

 米国では「チェンジ」を掲げたオバマ大統領が登場し、日本でも、日本の有権者は、自公政権の政策を厳しく批判、鳩山政権を誕生させた。いま、日本国民には、世界の良心の前で誤った民族観を払拭し、ゆがんだ朝鮮観を正し、(秀吉の)朝鮮侵略以来の歴史に誠実に向き合い、憲法前文と九条の精神に立つ善隣友好の自主・平和国家の道を歩むことが求められている。

「金玉均と日本−その滞日の軌跡」(琴秉洞著)

 しかし、NHKの「坂の上の雲」に代表される「明治の栄光」へと日本人を回帰させる大きな思想的動員がなされようとしている。朝鮮新報の日本語版は「金玉均の書軸見つかる・暗殺から115年 町の郷土館で特別展 北海道・岩内で初めて」(09年11月2日付)との記事を掲載していた。金玉均といえば、金玉均研究の第一人者・琴秉洞先生の姿が浮かぶ。先生こそ、日本の誤った朝鮮観・朝鮮認識、そして、日本を侵略と敗戦に導いた「明治栄光論」の最も厳しい告発者であったと思う。

 金玉均は、祖国朝鮮の近代化を目指して立ち上がったが、その蜂起(甲申政変)は、無念にも失敗に終わる。再起を期して来日したが、「日本側の支援」は、朝鮮に覇権を打ちたて、朝鮮国を奪取せんとする野望に金玉均を利用しようとするものであった。しかし、金玉均は、日本政府の監視のもとではあるが、南は小笠原から北は北海道にいたるまで、日本各地の各界名士と交流と親交を深め、憂国の心情を秘めた書を残している。北海道でも、函館・札幌・小樽それに可能性のある室蘭に住んでいた。今回の書も、これまでの金玉均の足跡につながるものである。琴先生の大著「増補新版 金玉均と日本−その滞日の軌跡」(緑蔭書房刊)は、その金玉均の足跡を綿密に追い、暗殺にいたる日本の野望を暴露している。

 琴先生は、その著書で「金玉均は、東和洋行に着くと、主人吉島得三に本名を告げ保護を依頼し、清国人、朝鮮人が訪問しても決して金玉均なるを告げざるよう頼んだ。…しかし、吉島は日本領事館から金玉均が来ることを事前に知らされていたし、その挙動を注意すること、金玉均を探偵することなどについて内命を受けていた」事実を示し、「『日・清・韓の暗黙の了解』のもと、1894年3月24日、金玉均は上海の日本ホテル東和洋行で、刺客・洪鍾宇によって暗殺された」事実を証している。

琴秉洞先生(左)と筆者(金玉均100周忌に際し、東京・青山墓地で)

 金玉均100周忌のとき、私たちは、琴先生と青山墓地の金玉均墓碑をお参りした。そして、「金玉均暗殺と日清戦争」と題する琴秉洞先生の講演をおききした。その中で、先生は、同書を基本に、日本が、秀吉の朝鮮侵略以来(古くは古事記・日本書紀の神功皇后の「三韓征伐」と任那支配記述に始原)の朝鮮に対する蔑視と侵略の思想を払拭することなく、温存培養し、朝鮮国を奪ったことを、厳密な史実にもとづき厳しく批判された。

 日本は、日朝修好条規で、「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ。…彼此互イニ同等ノ礼儀ヲ以テ相接待シ毫モ侵越猜嫌スル事アルベカラズ。…」と述べたが、この条規がいかに「自主の邦・朝鮮」から自主権を奪うものであったかを、1910年8月22日の「韓国併合条約」にいたる日本の侵略を指弾された。とくに、挙族的な朝鮮人民の反帝反封建戦争ともいうべき、甲午農民戦争(指導者・全準)で、農民軍の勝利で追い詰められた当時の朝鮮国王が(朝鮮の宗主国と自称する)中国に援軍を頼むや、日本は、この日朝修好条規の(自主の邦条項)を持ち出して、長年の野望を実現する好機到来と、「朝鮮の争奪戦争」とも言うべき日清戦争を、さらには、ロシアに接近する王妃殺害を強行し、日露戦争を引き起こし、ついに朝鮮人民から祖国を奪ったことを、深い憤りを込めて告発されたのであった。

 琴先生の事実にもとづく批判は、非常に厳しいものである。私は、琴先生の評価に全面的に賛同できない点があるが、先生の指摘は、厳格な歴史的事実に根ざすものであった。私の浅薄な歴史観、朝鮮観は、その事実の前にガンと殴られる思いであった。しかし、その厳しい批判には、先生の「知朝人士」に見る、「真の朝・日間の善隣友好」への強い願いが秘められているのを見落としてはならない、学ばねばならないと思っている。先生の著書は、いずれも大著で、その著書の主題と内容は、少数の良心ある史家を除いて、日本政府はもちろん、日本の多くの歴史家が、その歴史的事実の重大さを見抜けず、見落し、その内容を追求しなかったものがほとんどでなかったかと思う。先生が遺した多くの著書が、そのことを雄弁に証明していると思う。

 ここに、琴先生からいただいた「日本の朝鮮侵略思想」「日本人の朝鮮観」から、私の思いを述べさせていただく。先生は、その著書の中で「私のいう知朝人士とは、朝鮮の自主的独自性を尊重し、自国の朝鮮侵略政策と併合に批判的に対し、独立運動に肯定的理解を示す人々を指す言葉である」と述べ、日本の数少ない知朝人士として、須永元、木下尚江、柏木義円、江渡狄嶺、永井荷風、石橋湛山、布施辰治らをあげられている。個々の思想家でなく、近代の日本の思想家全体を、このような視点で捉えたものが他にあったであろうか?

 1999年5月、万国平和会議百周年を記念してオランダのハーグで開催された「ハーグ平和アピール市民社会会議」は、最終日公正な世界秩序のための10の基本原則を採択した。その第一に「各国議会は、日本国憲法第九条のように、政府が戦争をすることを禁止する決議を採択するべきである」と述べたが、同時に第9に「平和教育は世界のあらゆる学校で必修科目であるべきである」を満場一致で採択した。まさに琴先生のあげられた「知朝人士の闘い」こそ、日本人が繰り返し学ばなければならないものではないであろうか?(山本玉樹 北海道大学総合博物館資料研究員・北海道在日朝鮮人の人権を守る会)

[朝鮮新報 2010.1.18]