記者座談会 2010年 朝鮮半島情勢 「停戦」の矛盾が臨界点に |
米中「G2」の葛藤 朝鮮戦争勃発60年にあたる今年、朝鮮半島での軍事的対立と緊張が北東アジア情勢に波及した。米国は日本、南朝鮮と冷戦期の軍事ブロックを再現し、中国に対する圧力を強めた。2012年に「強盛大国の大門」を開くという目標を掲げた朝鮮は、「平和協定締結による戦争終結」を目指し外交戦を展開した。担当記者が激動の1年を振り返った。
緊張激化の原因
A はじめに、朝鮮半島で緊張が激化した原因を確認するべきだろう。日本のメディアは「北の挑発」が危機を引き起こしたと伝えた。事実をわい曲する一辺倒な報道からは、いま表面化している対立構図の全体像が見えてこない。 B 3月に起きた「天安」号沈没事件と関連して、朝鮮は「海底から引き上げられた魚雷推進体」など南側が提示した「物的証拠」を確認するために国防委員会「検閲団」の現地派遣を申し出た。「北の仕業」だとする「調査報告」に虚偽がないのであれば、面倒な要求ではないはずだが、南当局も米軍も「検閲団」を受け入れなかった。あれこれ理由をつけて問題を先送りした。そして、11月になって延坪島砲撃事件が起きた。 C その辺の経緯を日本のメディアは、まったく伝えなかった。砲撃事件も、南朝鮮軍が人民軍の事前警告を無視して、北側領域に砲撃したのが発端だ。 B 米国、南は「天安」号沈没や西海砲撃戦を口実に、朝鮮半島周辺で原子力空母まで動員した合同演習を強行し、軍事的対立を煽った。これは客観的事実だ。12月には、過去最大規模の米日合同演習も行われ、南が初めて「オブザーバー」として参加した。 A 現在の対立構図を読み解くポイントは、「朝鮮半島危機」で誰が最大の利益を得たのかを見極めることだ。米国は「天安」号沈没事件で「北の脅威」をでっち上げ、2012年に予定されていた南への戦時作戦権移管を延期させた。日本の民主党政権下でこじれていた沖縄の米軍基地問題も自国に有利に決着させた。 C 朝鮮半島の事態に対して、米国は単に受動的な対応をしていたわけではない。冷戦時代をほうふつとさせる日本、南との軍事ブロック形成も、中国の存在を念頭に置いている。延坪島砲撃事件後の軍事演習では、横須賀を拠点とする原子力空母ジョージ・ワシントンを西海に出動させ、北京を「射程圏内」に入れた。 A 哨戒艦沈没や砲撃戦によって引き起こされた危機は、米国の国益のために演出された側面がある。世界が目撃したのは、「ならずもの国家」による「瀬戸際戦術」などではない。朝鮮の核保有や中国の影響力拡大に象徴される国際関係の変化に対抗し、ふたたび覇権を握ろうとする米国の「力の政策」だ。 朝中による新機軸 B 米国による世論操作で隠ぺいされた事実がある。一連の事件が起きる前に、朝鮮が「戦争終結」に関するアピールを行っていたということだ。今年1月、朝鮮外務省声明を通じて、停戦協定を平和協定に代えるための会談の開催を、協定締結当事国に正式提案した。 C 1950年代から続く米国との交戦関係に終止符を打つという提案は、これまでの朝米関係の全過程を総括し、その結論に基づいて提案されたものだという。注目すべきは、平和協定締結提案という形で示された朝鮮の戦略が、北東アジアに新たな「力の均衡」が生まれつつある状況に対応しているということだ。今年、二度にわたって行われた朝中首脳会談も、朝鮮が国際情勢を大局から見て判断し、変化に先駆けて行動しているという実証例だ。 A 日本のメディアは、金正日総書記の訪中目的について、「支援」や「承認」といったまったく的外れな分析をした。その結果、朝中両国の友好協力が、国際秩序再編の新機軸を形成するという本質を見逃した。哨戒艦沈没事件や西海砲撃戦の収拾局面で、中国が対話外交再開のためのアプローチを積極的に展開したのは偶然ではない。それは、朝鮮を「支援」するといった次元の行動ではない。あくまでも、中国が現在の情勢を戦略的に捉え、自らの国益の見地から行ったものだ。 B 確かに中国にとっては、他人事ではない。延坪島で砲撃事件が発生した時、南側が準備した戦闘機による対北爆撃が途中で取り消されていなければ、局地戦から全面戦争に拡大した可能性もあった。 A 砲撃戦を行ったのは北南だが、その背景には中国も関わる国際政治の対立がある。政治、経済、軍事の分野で米中の葛藤が表面化し、「新冷戦」と言われる緊張関係が生まれた時期に、朝鮮半島で戦争の危機が作り出された。 B 世界的に見れば、冷戦体制は約20年前に崩壊した。ところが、北東アジアでは冷戦時代の遺物が残された。朝鮮半島の停戦体制だ。その矛盾が、地域の秩序再編をめぐる攻防戦の中で噴出したのだと言える。 経済復興の条件 C 周辺情勢は緊迫の度合いを深めていったが、朝鮮国内では、経済分野の成果が相次いで伝えられていた。ビナロンの生産再開や石炭ガス化工程による肥料生産などだ。実際、北東アジアの国際関係が流動化の様相を呈する中、朝鮮の「2012年構想」は異彩を放っている。朝鮮の経済を復興させる前提条件は平和であり、他国との対立や緊張は障害でしかない。 B 強盛大国建設は、地域の不安定要素を解消するプロセスと連動する。朝鮮の内外政策は、そのような観点から推し進められたようだ。世界の注目を集めた朝鮮労働党代表者会も、党の指導体制を整えると同時に、国の安全保障と経済復興に有利な国際環境を形成する契機になったとの見方がある。 A 日本では、党の最高指導機関を選挙した会議の意味を人事問題に限定する興味本位の報道がなされた。朝鮮の進路が今後の国際情勢に与えるインパクトについては伝えなかった。 B 党代表者会は、朝鮮労働党の路線が今後も不変であることを示した。初志貫徹を誓う新たな指導部が構成された。改正された党規約の序文には、「朝鮮労働党は金日成同志の党」とあるが、それは、主席の遺訓を指針としてあらゆる活動を行っていくということだ。現在の国際情勢、対話外交再開をめぐる各国の駆け引きを踏まえると、朝鮮が目指す経済復興と朝鮮半島の平和保障、北南関係の改善などは相関関係にある。そして「強盛大国の建設」と「朝鮮半島の非核化」「祖国の統一」はすべて主席の遺訓だ。 C 朝鮮半島情勢が緊迫した時期に、会議が開催されたことの意義をあらためて考えたい。朝鮮は2012年の「大門」に向かって、全力疾走の態勢に入った。それを国内外に示威するイベントとして見れば、その効果は絶大だった。 A それと関連して興味深いのは、党代表者会に対する各国の反応だ。中国は会議の成功を祝い、朝鮮との「戦略的互恵関係」の強化を謳った。10月には、中国人民志願軍の朝鮮戦線参戦60周年に際し、習近平副主席が「朝鮮半島の平和と安定は世界の平和と安定につながり、この問題に関する中国の立場と政策的主張は一貫している」と明言した。2012年に中国の次期指導者になるだろうと目される人物の言葉は重い。 「強い国家」としての自覚 B 習近平副主席の発言は、確かに注目される。朝鮮が平和協定の締結を呼びかけた相手は、停戦協定当事国すなわち米国と中国だ。朝鮮の「2012年構想」は、米中の外交戦を触発しながら、ラストスパートをかけることになる。 C 「大門」が開かれる年、米国ではオバマ大統領が再選をかけた選挙をたたかい、中国でも新たな指導体制がスタートする。次の時代を見据え、国際秩序をめぐる米中の駆け引きが加速化するとき、強盛大国のビジョンを打ち出した指導部が、大国に決断を迫る構図だ。 A 「朝鮮半島は今後も北東アジアの火薬庫として残るのか」−朝鮮は平和協定締結を主張することで、問題提起を行った。その結論が、各国の利害が絡む国際秩序再編の方向を左右することになる。西海砲撃戦後、朝鮮側は、南の挑発に対して「2次3次の対応攻撃」がありえるとした。南の戦時作戦権を持つ米国も何らかの収拾策を講じなければならない。 B 中国は朝鮮側の提案に肯定的だと伝えられているが、米国の対応は楽観視できない。12月にニューメキシコ州知事が訪朝して緊張緩和のための「包括的措置」が議論されたと伝えられたが、そもそもオバマ政権に平壌のメッセージを解読する能力があるのか疑問だ。これまでは「北の挑発」を口実に、地域の対立を激化させてきたが、それも停戦協定上の「交戦国」である朝鮮の行動パターンを見通しながら対応していたわけではないようだ。米国が、朝鮮の先制戦略に振り回される場面が多かったように思う。 A オバマ政権は、自ら仕掛けたレトリックの罠にはまっているのだろう。ホワイトハウスや国務省は、朝鮮の「挑発行動」をいわゆる「内政不安」と結びつけ、それを払拭するために「瀬戸際戦術」をとっているのだと思い込んだ。相手の意図を間違って解釈すれば、政策的な判断ミスを犯すのは当然だ。 B 朝鮮の行動パターンに変化が見て取れるという指摘があるが、その理由を国内の「不安」と結びつけるのは誤った認識だ。オバマ政権が言う「弱者の論理」では、今年の朝鮮の危機対応を説明できない。最近の行動に表れているのは、むしろ外交力や軍事力に立脚した「強い国家」としての自覚と意志だ。 C 同感だ。米国の戦争騒動を根源からなくす平和協定締結提案も、南による砲撃挑発に対する応戦も、自らの力を信じる国家だけに可能な選択だ。朝鮮は核保有国であり、自力更生で最先端を成し遂げた国防力に絶対的な自信を持っている。大国の利益のために、朝鮮半島が犠牲になるしかないという地政学に基づく「宿命論」を断固排撃するという政策決定がなされたとしても不思議ではない。 A これからは、敵対国のごう慢と不正を黙認しないということだ。行動によって確固たる意志を示し、自国に有利な情勢を切り開く。朝鮮がこれまでとは違う領域にステップを踏み出したのは間違いなさそうだ。米国が「力の政策」を推し進め、挑発行動を続けるならば、怯むことなく強硬策で臨むはずだ。「強盛大国の大門」を開く2012年まで、朝鮮の歩調が緩むことはないだろう。 [朝鮮新報 2010.12.24] |