top_rogo.gif (16396 bytes)

国際シンポ 東京で来月開催 「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」から10年

2000年12月に東京で開かれた「女性国際戦犯法廷

 今年は、2000年12月に東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」から10周年にあたる。「法廷」は、半世紀にわたる沈黙を破り、謝罪と補償を求めて立ち上がったサバイバーたちに敬意を表し、置き去りにされてきた被害者の正義の実現と、戦時性暴力を含む女性に対する暴力根絶のために、世界の女性たちの手で開いた国際民衆法廷であった。

 10周年を迎えた今年、「慰安婦」問題の解決を巡る法廷後10年の運動の足跡と意義を振り返り、今後の課題を広く共有していきたいと考え、来月5日、国際シンポジウム「『法廷』は何を裁き、何が変わったか〜性暴力・民族差別・植民地主義〜」が東京で開催される(詳細は毎週水曜日号掲載の本紙6面「みんなの広場」参照)。サバイバーたちの声を聴き、法廷後10年の思想的な分析・検討を行い、次世代に運動課題を提起し、「今、私に何ができるか」を考え、一歩を踏み出す機会にしたいとシンポへの参加を広く呼びかけている。

 10年前、加害国日本の首都東京で開かれた「女性国際戦犯法廷」は、20世紀の終焉に、市民の力で天皇の軍隊が犯した最大の罪である「性奴隷制」を裁き、被害者の尊厳を回復することが目的だった。会場には、北南、海外の朝鮮人被害者約30人を含むアジア各国の性奴隷被害者約70人が出席したのをはじめ、約2千人の参加者で埋め尽くされた。北南朝鮮は共同起訴状を作成し、日本政府を厳しく追及した。さらに画期的だったのは、被害者の請求を全面的に認め、昭和天皇裕仁に有罪判決を下すとともに、国際法に違反した日本政府の国家責任も認定した。かつてない大規模で組織的な日本の性奴隷犯罪が、市民の手によって、初めて裁かれたのだった。

 しかし、この10年、「従軍慰安婦」をめぐって、日本政府はもとより政治、メディアなど各分野で右からの巻き返しが強まった。「女性国際戦犯法廷」の成功のために尽力し、02年、がんのために惜別したジャーナリストの松井やよりさんは、この事態を予想しながら「慰安婦制度のような性暴力はこれまで『不処罰』であった。日本社会のありようを根本的に問うのだから、当然、逆風は覚悟している」と指摘していた。

 07年には、「慰安婦」問題での安倍首相(当時)による「強制性はなかった」という暴言に対して、米ニューヨークタイムズ紙が社説で、「恥ずべき過去を克服する第一歩は、それを事実と認めることだ」と、強く批判した。さらにオランダ外相も同国駐在の日本大使を呼んで、強い憂慮と不快感を伝え、来日していた豪のハワード首相も日本政府に「つまらない言いわけをするな」と一喝するなど国際社会は強い警鐘を鳴らした。

 97年に死去した南の被害者・姜徳景ハルモニは、遺言として「責任者を処罰せよ」という題の絵を描き残した。被害女性たちの多くは高齢で、次々と死を迎えている。日本政府に謝罪と補償をさせて、ハルモニたちの無念は今こそ晴らされなければならない。(粉)

[朝鮮新報 2010.11.17]