〈みたび柳の京を訪れて-上-〉 強盛大国を目指す人々 |
美しき柳の京をおとずれて 想いはめぐる日朝友好
世界中が記録的な猛暑に包まれた2010年夏、私は06年6月、09年10月に続いて3度目になる訪朝の機会を得た。国交のない日本から朝鮮を訪問するためには、通常、北京の朝鮮大使館領事部でビザを取得する。今年の北京はとくに高温多湿で、まるでサウナの中を歩いているようであった。 北京市内で一泊した翌日、午前中に短時間の市内観光を終え、轟音がけたたましく鳴り響く車ラッシュの北京を後にし、13時発の高麗航空152便に乗った。新型のロシア製ツボレフ203型機で、高麗航空でこのような真新しい飛行機に乗るのは初めてのことだ。思わず機材に触れてみたほどだった。 約2時間の飛行で平壌の順安空港に降り立った。緑に覆われて静まりかえった順安空港の金日成主席の笑顔の肖像画が見下ろすターミナルビルへ歩きながら、ふと「直行便なら、たぶん羽田から2時間半で来られるのに」と考えていた。 出迎えのバスに乗り、空港から都心まで緑の並木道を走った。平壌市内に入ったところで交差点にある信号機の前で停車した。てきぱきとした女性警官の交通整理を見なれていたので、信号機の設置は新しい発見であった。 川沿いの公園のような森の中にある宿舎の普通江ホテルで旅装を解いた。何か懐かしい場所に戻って来たような気がしてほっとした。 その理由は、平壌には数々の遺跡が残されていて、その遺跡に触れるのを楽しみにしていたからである。広く知られているコムンモル遺蹟は平壌地域に集中的に位置しているし、平壌を中心にした大同江流域には古代の人骨、化石、古墳が集中的に分布している。 とくに高句麗、高麗時代の優れた文化遺産は世界的にも高く評価されている。昔から朝鮮人はきびしい霜枯れ時に開花する菊の花、残雪にもめげず早春に咲く梅の花、吹きすさぶ烈風を耐え抜いて真っ直ぐに立つ松と竹、泥沼の池の中から咲き誇る蓮の花などをかぎりなく愛してきた。 このような朝鮮人の感性と強靭な民族性は、古代から外国の文化をこだわりなく取り入れて、よどみなく消化し朝鮮固有の文化を創造、継承してきた。半島という地理的・地政学的な位置のために、大陸から、また海洋から絶え間ない侵略を受け、そのたびに武力的占拠などの苦痛を受け、耐え忍ばなければならない時期もあった。 しかし、朝鮮民族はあらゆる苦難を克服しながら民族遺産の保全に力を合わせてきた。ホテル9階のベランダから夕陽の傾いた緑の前庭を眺めながら、そのような感慨に耽っていた。
日朝に隔たり多しこの時期に ピョンヤンを訪い親しく語る
その夜、ホテルでわれわれを招宴してくださった対文協の黄虎男局長があいさつに立ち、昨今の情勢に触れて、次のように指摘した。 「南朝鮮の保守政権はさる3月に、朝鮮を狙った大規模の米『韓』合同軍事演習を強行し、この演習に動員された哨戒艦『天安』号が沈没するや、われわれと無理やりに結びつけて朝鮮半島に戦争の火種を漂わせながら、現在も東海で米海軍と共に大規模の合同海上訓練を強行している。『天安』号沈没事件によって最大の利益を受けるのは他ならぬ米国であることを見ても、この謀略劇、ねつ造劇が誰のために必要であったかは、3歳の童子でも知るところである。このような厳しい状況の中で朝・日両国の友好促進のために訪朝してくださったことに、重ねて深い敬意を表す」 翌日、強盛大国を目指してもっとも力を入れているという農業の模範農場である大同江果樹総合農場を訪れた。広大な敷地は厳重に管理されていて、農場の入口まで支配人のキム・チャンジョン(49)氏が車で迎えに来てくれた。 区画整理された農場には農民たちのさまざまな住宅群や、事務所、加工工場、集積倉庫などが建ち並び、広大な農場を一望できる丘の上に立って、キム氏から丁寧な説明を受けた。 今年は水害があって苦労したが、3年あまりの短期間に有機肥料を用いて土地改良とリンゴなどの品種改良を行ったという。将来、耕作面積が1千fに達するという豊かな農場には、果樹の若木が整然とはるか彼方まで植えられていた。 次に大同江タイル工場を参観した。広い工場を技術長のキル・ソンウン(40)氏に構内用の電気自動車に乗って案内してもらった。この工場では、建築建材、耐火タイルから屋根瓦まで多くの製品が製造されている。 すべての生産過程がコンピューターによって集中管理されている。本格的に稼動すると海外から輸入せずに国内需要を賄えるようになるという話であった。キル氏は金日成総合大学数学科出身だそうで、説明がきわめて論理的で明快であった。「強盛大国」はこのような企業戦士によって具体的に推進されているのだと実感した。(小久保晴行、作家・画家・歌人・経営学博士) [朝鮮新報 2010.8.27] |